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新しい「音楽の聖地」ブランソン”ジョージ・タブチとマイク伊藤が大活躍”

シカゴ/中西部

ミズーリ州南部に位置するブランソン。人口わずか6000人の小さな町だが、メインストリートの76号線には、40もの音楽の劇場が建ち並んでいる。毎日120もの音楽ショーが催されて、2人の日本人ミュージシャンが大活躍しているのだ。(写真:ブランソンの街)

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ブランソンはミズーリ州の南部に位置する、新しい「音楽の聖地」。メンフィスやナッシュビルと比べると知名度はまだまだ低い。が、最近は「ザ・ミュージック・キャピタル・オブ・ザ・ワールド」と呼ばれ、急成長した音楽の都である。町を貫通する76号線の両側には、カントリー、ブルース、ポップス、ロック、ゴスペルなどの劇場の看板が重なり合い、目に眩しい。(写真:街のいたるところに置かれているカラフルな劇場のパンフレット)

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人口わずか6000人の小さな町なのだが、驚くのは40を超える劇場があり、毎日120もの音楽ショーが催されている。連日アメリカ各地からの観光バスがひきも切らず集まってくる。年間訪問者は800万人にも達しようというから驚きだ。しかもカジノは存在していない。ブランソン人気にラスベガスの観光関係者は焦っているという話も聞いた。 

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ブランソンを含むオーザック山系はもともと「釣り」で有名なスポットだった。45年前、釣り客相手に地元の「ボールノーバーズ」というヒルビリー・バンド(カントリー・ミュージックのルーツになる音楽)が、小さな劇場を作り、演奏を始めたのがきっかけだった。30年前にはわずか7軒の劇場しかなかったのが、20年前からナッシュビルのカントリーのスター歌手が集まりだし、それをメディアが報道、ブランソン発展の礎となった。 日本でもおなじみのアンディ・ウィリアムスは「ムーン・リバー・シアター」をオープンしている。ショーを見ると、80歳になろうというのに素晴らしいボリュームの声は昔と変わっていなかった。プラターズやオズモンド・ブラザーズなどの個人劇場もある。

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大活躍する2人の日本人ミュージシャン 日本人にとって嬉しいのは、このブランソンで2人の日本人ミュージシャンが大活躍していること。共に団塊世代に属し大学時代には学生バンドで鳴らした人たち。35年以上もアメリカの厳しい音楽ビジネスの中で生き残ってきた実力派だ。 ひとりは前述の「ボールノーバーズ」でバンジョーとフィドル(バイオリン)を受け持ち、ヨーデルの名手でもあるマイク伊藤である。

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彼は明治大学の出身で、学生時代は軽音楽部に属し、1年先輩には宇崎竜童や阿木耀子がいた。1971年に渡米し、各地のライブハウスで演奏しながら、コンテストに参加、軒並み優勝をさらった。 マイクがテキサスのライブハウスで演奏しているときに、ブランソンから「ボールノーバーズ」のオーナーがやって来た。スカウトされてブランソンに行った。演奏技術とショーマンシップを高く評価され、そのメンバーに加わることになった。以来28年間の長きにわたり「ボールノーバーズ」の中心的メンバーとして演奏している。2008年、自叙伝『音楽から見えるアメリカ』(彩流社)を出版した。彼の半世紀はそのまま「日本人が感じたアメリカ論」と読める。(写真:マイク伊藤の写真が劇場のロビーに飾られている)

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もうひとりはショージ・タブチ。桃山学院大出身で、学生時代からフィドラーとして有名であった。まさにアメリカン・ドリームを実現した日本人で、2000席を有する豪華な「ショージ・タブチ・シアター」のオーナーでもある。「ショージのチケットが取れたか」というのが、ブランソンを訪れる観光客の合言葉だ。 

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 (写真: ブランソンの人気ショー「プレスリーズ・カントリー・ジュビリー」)

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(写真:「ボールノーバーズ」のショー) 

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 ブランソンを代表する2人の日本人スーパースターの活躍ぶりを見ると、元気になること請け合いだ。ぜひブランソンを訪ねてほしい。

 

文・写真●森本剛史,Text & Photo by Takeshi Morimoto
協力●JTBトラベルライフ編集室

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