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サムライたちがメキシコで集団洗礼を受けた?? ~ヨーロッパへの中継点でキリスト教徒に~

メキシコ
 

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旅のエスプリ Vol.2
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サムライたちがメキシコで集団洗礼を受けた??
 
前回は、仙台藩、独眼竜政宗の家臣だった支倉常長を副使とする慶長遣欧使節団が、今から400年前にスペインに向けて旅立ち、戻ってくるまでの足跡や日本とスペインとの縁についてご紹介しました。
今回は、その中継地となった当時のスペイン領、メキシコについて少し掘り下げてみましょう。つまり、日本とメキシコの交流にも400年の歴史があるのです。
1613年、木造帆船サン・フアン・バウティスタ号で180余名から成る使節団は太平洋横断に出航しました。およそ90日後、船はメキシコのアカプルコに入港、一行は陸路でメキシコシティをめざします。ちなみにアカプルコには支倉の銅像も建立されているだけでなく、1973年には仙台市とアカプルコ市との間で国際姉妹都市協定も締結されました。姉妹都市としても今年ちょうど400周年という節目の年を迎えます。
一行はメキシコシティへの途上でクエルナバカを経由したと考えられています。この地のカテドラルの付属教会内で有名なフレスコ画「二十六聖人殉教図」を見ることができます。しかもこの殉教は日本が舞台です。太閤(豊臣秀吉)の命により、6名のサンフランシスコ会宣教師と20名の日本人のキリスト教徒が長崎まで移送され、処刑される模様が描かれています。なぜ、その絵がここにあるのでしょう? 記録はないのですが、殉教した宣教師のうちの一人がメキシコ出身であったからではないかというのが、現在の見解のようです。支倉一行がこの絵を見たかどうかは不明です。
アカプルコ・コンデサビーチ
アカプルコ・コンデサビーチ
クエルナバカのカテドラル フレスコ画「二十六聖人殉教図」クエルナバカのカテドラル フレスコ画「二十六聖人殉教図」
クエルナバカのカテドラル フレスコ画「二十六聖人殉教図」
 

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遣欧使節団が宿泊したとされるタイルの家
遣欧使節団が宿泊したとされるタイルの家
さて、メキシコシティでは、使節団のうち実に44名がサンフランシスコ教会でキリスト教徒への洗礼を受けました。1614年4月9日に20名、4月20日に22名が洗礼を受けた記録が残されており、それにより一行のうち総勢64名がキリスト教徒になったと記されているため、20名は日本国内で既に洗礼を受けていたようです。また、支倉自身はスペインに渡ってから洗礼を受けたと伝えられています。彼らが洗礼を受けた目的は、ヨーロッパでの正式な貿易交渉に臨むためでした。
サンフランシスコ教会 外観
サンフランシスコ教会 外観
サンフランシスコ教会 内部
サンフランシスコ教会 内部
 
大震災で被害受け、修復中の復元船
 
1614年5月28日、スペインへ向けてメキシコシティを出発した一行は、6月10日にサンホセ号で大西洋の旅に出ました。そして、前回お伝えしたようにスペイン国王に謁見し、さらにローマ教皇への謁見も果たしたのです。
サン・フアン・バウティスタ号 (SEPARATA 日本メキシコ交流400年 荻野正蔵、戸田眞著より)
サン・フアン・バウティスタ号
(SEPARATA 日本メキシコ交流400年 荻野正蔵、戸田眞著より)
パウロ5世
パウロ5世
 
戻ってくる途中で、スペインで何名かの日本人がセビリアに残留したと言われていますが、支倉はメキシコで再び、サン・フアン・バウティスタ号で日本を目指します。しかし、立ち寄ったフィリピンのマニラでスペイン艦隊に船を買収されてしまい、別の船で日本まで辿り着いたのでした。
今から400年前にヨーロッパへの夢と使節団を乗せて海を渡ったサン・フアン・バウティスタ号ですが、宮城県石巻市にあるサン・ファン館(宮城県慶長使節船ミュージアム)で復元船を見ることができます。残念ながら2011年の東日本大震災の津波の影響で博物館自体は休館中(2013年5月現在)ですが、復元船は一部の損害で済み、現在修復中。そして、被害を免れた一部の施設を限定公開するなど、全面的な再開に向けて前進しています。特に今年の10月はサン・フアン・バウティスタ号がメキシコに向けて出航してから400周年を迎えるため、記念行事も計画されています。東北大震災からの復興、そして復元船サン・フアン・バウティスタ号の完全修復を心よりお祈りしています。
 
慶長遣欧州使節400 周年記念展覧会が仙台市博物館で開催
仙台市内の仙台市博物館では、この秋、使節400 周年記念の特別展覧会が開催されます。
宮城県慶長使節船ミュージアムと合わせて立ち寄りたい必見のスポットです。
特別展:慶長遣欧使節出帆400 年記念伊達政宗の夢—慶長遣欧使節と南蛮文化
2013 年10 月4日(金)〜11 月17 日(日)
この展覧会では、国宝「慶長遣欧使節関係資料」をはじめ国内及びヴァチカン・イタリア・スペインの多彩な文化財等により、伊達政宗を使節派遣へと駆り立てた背景や使節の実像について紹介します。
仙台市博物館宮城県仙台市青葉区川内26 番地<仙台城三の丸跡>
℡ 022-225-3074
国宝慶長遣欧使節関係資料や、重要文化財の伊達政宗所用具足・陣羽織、豊臣秀吉所用具足、三沢初子所用帯などの他、仙台伊達家からの寄贈資料をはじめ、江戸時代を中心とした仙台藩に関わる歴史・文化・美術工芸資料など約9 万点を収蔵。常設展示は季節ごとに展示替えを行い、随時約1000 点を展示しています。
 

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関 克久