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イランに取り残された絶対絶命の日本人216名を救出したのは、トルコの100年前の恩返しだった!?

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」ギリシャ・トルコ

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 20

テヘランから216名の日本人を救出、トルコ航空機の行動は100年前の恩返し

2013年夏、2020年の夏季オリンピックの開催地の座を巡り、東京とイスタンブール(そしてマドリッド)が熱い闘いを繰り広げました。最終的な勝利を手にしたのは我が国の東京でしたが、イスラム国家として初のオリンピック開催地をめざしていたトルコ、イスタンブールの健闘も素晴らしいものでした。

世界遺産イスタンブルの歴史機t区にあるスルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)

さて、そのトルコの人々、一般的に親日家であるとはよく言われることです。一説には、トルコを長く迫害していたロシアを、日本が日露戦争で打ち負かしたことがその理由とも言われています。「よくぞやってくれた」と、その後、連合艦隊司令官の東郷平八郎にならい、子供の名前に「トーゴー」とつけることがトルコでは流行にもなったそうです。

[左]スルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)の天井/[右]イスタンブールのアジアサイドにあるグランド・バザール

トルコに親日家が多い理由は?

しかし、トルコと日本の縁は日露戦争から遡り、19世紀末のエルトゥールル号遭難事件に端を発しているのです。オスマン帝国(現在のトルコを含む地域)の軍艦、エルトゥールル号は、大日本帝国の皇族、小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応えるため、1889年、航海訓練を兼ねて数百名の派遣団を乗せ日本に向かいました。

明治天皇に謁見した後、一行は帰路に就こうとしますが、長旅による体力消耗などでコレラにかかる者が続出しました。出航を台風の季節が過ぎた後に延ばすように説得する大日本帝国側に対して、オスマン帝国海軍の弱体化を晒したくないと横浜港から帰国を決行したのです。

しかし、9月16日21時頃、台風による強風にあおられたエルトゥールル号は和歌山県串本町の沖合で岩礁に激突、大破してしまいます。

ボスポラス海峡に停泊中のオスマン帝国海軍の軍艦「エルトゥールル号」 

海に投げ出された乗組員のうち10名が断崖をのぼり、樫野埼灯台に辿り着き、救助を求めました。通報を受けた大島村(現在の串本町)の住民たちは総出で救助に当たり、住民の献身的な介抱もあって、69名の乗組員の命が助かったのです。しかし、結果的には587名のトルコの人々が死亡、または行方不明という大惨事にかわりなく、明治天皇は大日本帝国の軍艦2隻で生存者たちをトルコに送り届けるように指示しました。

この事故は日本全体に瞬く間に伝わり、多くの義援金がトルコの遺族のために集められました。それらの義援金を携えてイスタンブールに上陸したのが山田寅次郎です。彼は民間人ながら、外務大臣に義援金を直接手渡し、さらに皇帝アビドゥルハミト二世にも謁見します。彼はそのままトルコに留まり、士官学校で若者たちに日本語と日本文化を教えたのです。その教え子の中に、トルコ共和国初代大統領ケマル・アタチュルクがいたと言われています。

小学校の教科書でも紹介、日本人がトルコ人を救った遭難事件

さて、時は流れて1985年3月17日、イラン在住の外国人は一斉にテヘラン空港に詰めかけていました。というのも、隣国イラクの当時の大統領サダム・フセインが、「48時間後にイラン上空を飛ぶ飛行機をすべて撃ち落とす」との声明を発表したからです。タイムリミットが迫る中、在住外国人の母国からは続々と救援機が到着していました。

しかし、日本政府は、自衛隊を送れば憲法違反になるとの意見に押され、さらに民間機を飛ばすのも危険すぎるとの理由で、世界で日本だけが立ち往生する国民に救いの手を差し伸べずにいたのです。テヘラン空港に残されたのは日本人だけになっていました。

そして、フセインが発表した期限に迫ろうとしていたその時、1機のトルコ航空の飛行機がテヘラン空港に緊急着陸し、日本人216名全員を乗せ、そのまま成田へ飛び立ったのです。これはまさに奇跡としか言いようのない出来事でした。

トルコ航空の日本人救出の理由は、駐日トルコ大使によってすぐに明かされることになります。大使は、100年近く前のエルトゥールル号でいかにトルコの人々が日本に恩義を感じているかを熱く語りました。トルコでは小学校の教科書で「トルコ人を救った日本」というテーマであの事件が紹介されていると言うのです。つまり、テヘラン空港の件は、「トルコの恩返し」だったというわけです。

その後、1996年には新潟県柏崎市にトルコ文化村がオープンしました。ここには山田寅次郎に日本の文化と精神を学んだと伝えられる初代大統領ケマル・アタチュルクの銅像もトルコから寄贈されました。建国の英雄としてトルコ国内でのケマルの像はすべて軍服姿ですが、平和を愛する日本人のためにと、寄贈された像は特別に平服で馬に乗る姿になっています。

和歌山県串本町にある「エルトゥールル号殉難将士慰霊碑」

その後、残念ながらトルコ文化村はメインバンクの新潟中央銀行の経営破綻の後に閉園となったため、ケマル像は一度、東京のお台場で丁寧に修復されてから、エルトゥールル号事件の地、和歌山県串本町に改めて設置されました。串本町にはトルコ記念館も建ち、エルトゥールル号の模型や乗員の遺品など縁の品が展示されています。

そして2015年には、エルトゥールル号遭難事件を題材に日本とトルコ合作の劇場映画公開も決定しています。映画鑑賞の前に是非、串本町に足を運んでトルコと日本の百数十年にもわたる長い絆のルーツを確認されてはいかがでしょうか? そうすることで、映画が何倍にも味わい深く感じられることでしょう。

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【参照サイト】
NPO法人エルトゥールルは世界を救う
www.ertugrul.or.jp

和歌山県串本町トルコ記念館
www.town.kushimoto.wakayama.jp/kanko/sisetsu.htm

 

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関 克久