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全盛時、数十の媒体を傘下に収めた新聞王ハーストの夢の城とは? 

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」サンフランシスコ

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 30

全盛時、数十の媒体を傘下に収めた新聞王ハーストの夢の城とは?

ロサンゼルスから1号線を北へ4時間、サンフランシスコからは逆方向に4時間車を走らせると、サンシメオンという場所があります。ここの山側には、かつて新聞王と言われたウィリアム・ランドルフ・ハーストが別荘として増築を重ねた、通称ハーストキャッスルが太平洋を見下ろす形で建っており、今は一大観光地として全世界からツーリストを迎え入れています。

部屋数115、その城は愛人の女優のために建てられた?

新聞王とは言え、民間人の別荘が城とは大げさではないか、と思われるでしょう。しかし、行けばそこが紛れもなく「城」だということがわかります。スペインの教会の建築様式を模して、当時の一流建築家、ジュリアン・モーガンに携わらせた本館には、実に115もの部屋があるのです。敷地内には3棟のゲストハウス、ローマ様式のきらびやかな装飾が施された屋外プールと屋内プール、動物園、空港までも完備されています。

ハーストキャッスル

ハーストキャッスルの出発点は、丘の麓のビジターセンターです。全員がツアーバスに乗り込んで丘の上の城をめざします。ちなみにビジターセンターには、ハースト家のバックグランドを紹介するための展示がディスプレイされているので、バスの出発時間までにここで一族の歴史を予習することができます。

バスは太平洋を背に高台に続く道を登っていきます。キャッスル前に到着するとガイドの先導で、庭園、屋外プール、屋内プール、さらにキャッスルこと本館内の居室や食堂を見て回った後、劇場に通され、ここでハーストが招いた客人たちが登場する記録映画を観賞します。私が訪ねた数年前には、喜劇王チャーリー・チャップリンがハーストキャッスルでテニスに興じる様子が上映されていました。

ハーストキャッスル

貴族や王族のいないアメリカにも、まさに城があったのだと、ハーストキャッスルを訪ねるとその圧倒的な存在感に感銘を受けることは必至ですが、そのオーナーだった新聞王とはどのような人物だったのでしょうか?

新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストは1863年、サンフランシスコに生まれました。父のジョージはゴールドラッシュ時代に銀鉱山で成功、ウィリアムは何不自由なく育ちました。長じてハーバード大学に入学しますが、実業界に興味を覚え、父が所有していた新聞サンフランシスコエギザミナーを譲り受けて、大学を中退して経営者としてのスタートを切ります。

そして次々に媒体を買収し、ゴシップを中心に挑発的な記事で部数を伸ばしていくのです。全盛時、彼のメディア王国は28の新聞と18の雑誌を傘下に収めるまでに成長しました。

ハーストキャッスル

ショーガールだった妻との間に5人の息子を設けたハーストでしたが、同じくショーガールのマリオン・ディビスと出会うと、彼女を女優にするために映画制作会社を設立します。そして、父が所有していたサンシメオンの広大な土地に、ディビスとの愛の巣を造ろうと、「ハーストキャッスル」の建設に着手するのです。

ハーストキャッスル前述のようにサンフランシスコからも本宅があるビバリーヒルズからも遠方で、しかも交通の便も良くないロケーションでしたが、それだけ都会の雑音が耳に入らないパラダイスの建設にはうってつけでした。

ディビスはここに女帝として君臨し、チャップリンを始めとするハリウッドセレブを迎え入れてはパーティー三昧の日々を送っていました。その結果、ハーストが望んだ女優としての成功を手に入れることはできませんでした。

マイクロソフト会長の自宅も公開される日が来る?

ハーストはやがてディビスに愛想を尽かし、サンシメオンからは足が遠のくようになります。そして、1951年、ビバリーヒルズの本宅で88歳の生涯を閉じました。本妻とは長い別居期間がありながらも最期まで離婚することはなかったのです。

そして、ハーストの死後、その莫大な維持費が理由で、ハースト家はカリフォルニア州にキャッスルを中心とする土地を譲ったため、現在では同地は州によって運営されています。

近年はキャッスルを取り囲むハーストランチで売り出されているワインも注目を集めています。ランチ内には牛などの家畜が放牧されていますが、実際のワインに利用されている葡萄は山を越えたパソロブレスで収穫されているそうです。

ハーストの死後も、スキャンダラスな一族の歴史は幕を閉じることはありませんでした。一番世間を騒がせたのは、パトリシア・ハースト誘拐事件です。ハーストの5人の息子のうちの四男の三女、つまり孫娘にあたるパトリシアが、UCバークレーの大学生当時、ボーイフレンドと一緒に暮らしていたアパートから突如姿を消します。

彼女を誘拐した左翼活動団体のSLAは、ハースト家に対して「カリフォルニア州の6万人の貧民に食料を提供するように」との要求を提示します。その数カ月後、人質として同情を集めていたパトリシアが銀行強盗として監視カメラに映っていたことで全米は衝撃に包まれました。やがてパトリシアは逮捕され、有罪判決を受けました。

ハーストキャッスル

現在もハーストのメディア帝国は健在です。ニューヨークを拠点に数々の媒体を経営、日本にも進出しています。ただし、業界全体に思いを馳せると、メディアの主役はインターネットに移り、新聞や雑誌といった印刷媒体はやはり往時の勢いを失っていると言うしかありません。新聞王だったハーストが築き上げた城を見ることで、往時の新聞や雑誌の勢いがいかに凄いものだったかを肌で感じることができます。

さて、今から数十年後、マイクロソフトの会長の自宅や、グーグルの創業者の別荘などが現在のハーストキャッスルのように一般に公開されることはあるのでしょうか?

All photographs in this blog are permitted to use by Hearst Castle® 

【参照サイト】
Hearst Castle(公式サイト)
hearstcastle.org

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関 克久