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セオドア・ルーズベルト大統領はアメリカ人で初の柔術茶帯取得者だった。忠臣蔵と武士道を愛読?

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」コロラド・デンバー

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 35

セオドア・ルーズベルトと忠臣蔵の関係は? 武士道に感銘して日露講和条約の仲介役

ルーズベル大統領と言えば、第二次世界大戦時の第36代大統領だったフランクリン・ルーズベルトとその従兄に当たる第26代大統領だったセオドア・ルーズベルトがいますが、今回は後者のお話です。ルーズベルト大統領と言えば、リンカーン、ジェファーソン、ワシントンと共にマウントラシュモアにも巨大な胸像が彫られているように、アメリカ人には大変人気のある大統領です。

サウスダコタ州マウントラシュモアの4大統領の像

さて、そのルーズベルト大統領が、新渡戸稲造の「武士道」や「忠臣蔵」を愛読していたという事はご存知でしたでしょうか? そして彼はアメリカ人で初の柔道茶帯取得者だったという事を・・・ルーズベルト大統領と日本の関わりは何と言っても日露戦争終結のため仲介役を名乗り出て、ポーツマス条約で講和したという事ですね。

日本は戦勝国として賠償金を取る事ができなかった点で条約の評価は別れるようですが、諸々の政治的な駆け引きはあったにせよ「武士道」や「忠臣蔵」に描かれている忠義を重んじる日本人像への理解が、仲介を引け受ける事にプラスに働いたという事は言えるのではないでしょうか。ちなみにこの功績によって彼はアメリカ人で初めてノーベル平和賞を受賞しています。

病弱と喘息で不登校の毎日、運動に打ち込む事で病気を克服

さて、ルーズベルト大統領というのはどのような人だったのでしょうか? ニューヨーク、マンハッタンにルーズベルトの生家が国立公園として保存され一般公開されています。立派なブラウンストーンの建物で大統領の幼少期を知る数々の展示がされています。

セオドア・ルーズベルト生家のダイニングルーム

彼は1856年10月27日にここ28丁目東20番地で生まれました。病弱で極度の喘息を患い学校にも行けない彼のために、父親は窓の外のテラスに今でいうジムを造り運動を日課とさせます。そしてボクシングを始め序々に運動を好むようになりやがてアウトドアスポーツに熱中するようになります。後に趣味は聞かれると、ハンティングテニス柔術そしてポトマック川の水泳(全裸で・・・)と答えたそうです。

また幼い頃は読書と博物学に興味を持ち、7才の時に市場で見たアザラシの死体に啓発され、剥製術を学び自ら作った博物館を剥製で満たし、なんと8才で「昆虫の博物学」と題した論文を執筆したのそうです。ニューヨーク州ロングアイランドにサマーホワイトハウスと言われる邸宅がサガモア・ヒル国立史跡として保存され一般公開されていますが、そこには彼がアフリカに狩猟に出かけた際の遺品が多数展示されています。

ニューヨーク州ロングアイランドにあるサマーホワイトハウス

ちなみにポーツマス会議の事前会議がここサガモア・ヒルで行われ、近くのオイスター湾に浮かぶヨットで、小村寿太郎とロシアの全権大使のセルゲイ・ウィッテを引き合わせています。

バレンタインズデーに襲った二重の悲劇

ルーズベルト生家にある日の日記が展示されています。そこには「FEBRUARY, THURSDAY 14 1884」と上に書かれ、その下には大きなX印、そしてその下には「The light has gone out of my life」と書かれています。一体何が起こったのでしょう?

1884年2月14日の日記に記された、大きなX印

ニューヨーク州の議員だった彼に長女アリスが誕生したのもつかの間、そのたった2日後の2月14日、最愛の妻アリス・ハサウェイーと敬愛する母マーサ・ブロックが他界してしまったのです。

あまりのショックに彼は議員の職を辞しノースダコタへと旅立ちます。彼は手付かずの大自然の中で自らエルクホーン牧場を設立し牧場経営に打ち込む事で悲しみから立ち直ろうとしたのです。

「若者にとって牧場以上に魅力的な暮らしがあるとは思えない・・・人間本来の逞しさ、自立精神と即断即決の価値を教える生活を私は存分に楽しんだ」

と記している通り、ルーズベルトは2年間の牧場生活で元気を取り戻し1886年ニューヨークに復帰します。

そして海軍次官などを経て1900年に副大統領として当選、翌9月にはマッキンリー大統領死去(暗殺)によって42才という史上最年少の大統領が誕生します。ちなみに彼の愛したサウスダコタの自然と景観を保存するため、1978年にはセオドアー・ルーズベルト国立公園が制定されています。

テディー・ルーズベルトとして愛される

史上最年少の大統領と聞くとさぞかしエリートコースまっしぐらだったんだろうと思いますが、実は波乱万丈の人生、そこがテディー・ルーズベルトと呼ばれ親しまれる由縁なのでしょう。

諸説があるようですが、ぬいぐるみの代表格テディー・ベアの由縁も実はルーズベルト大統領なんです。世界一大きな温泉プールがある事で有名なコロラド州グレンウッドスプリングスに、由緒あるホテル「コロラド・ホテル」があります。1905年以来毎年狩に訪れて訪れていたある日、収穫が無かったためホテルのメイドが熊のぬいぐるみを作って大統領にプレゼントしたのだそうで、娘のアリスがそれをいたく気に入って「私、この熊、テディーって呼ぶわ!」と言った事からテディーベアの誕生となったのだそうです。

日本との意外な関わりもさる事ながら、彼のゆかりの地が多いのもやはり人気の秘密なのでしょう。ルーズベルト大統領ゆかりの地巡りなどいかがでしょうか?

コロラド州グレンウッド・スプリングスにある由緒あるホテル、コロラド・ホテル

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関 克久