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卒業旅行で行ったクレージーホースに魅せられたケビン・コスナー  映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」を製作 

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」イエローストーン、サウスダコタ

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 37

クレージーホースに魅せられたケビン・コスナー 家族で60年以上も造り続ける世界最大の彫刻

第63回アカデミー賞を受賞したケビン・コスナー主演の「ダンス・ウィズ・ウルブス」を覚えていらっしゃるでしょうか? ストーリーはこうでした。

南北戦争の北軍のジョン・ダンバー中尉は激戦地のテネシー州での功績が認められ、見返りとして自由に勤務地を選ぶ権利を与えられ、見渡す限りの荒野のサウスダコタ州のセッジウィック砦で自給自足の生活を始める。そして怪我をした青い目のインディアンの女性を助けた事からスー族との交友、そして彼らの命の糧であるバッファロー(タタンカ)狩などを通じ、スー族の人々との心の交流が始まる。

サウスダコタの壮大な大自然も見応えがありましたが、何よりも、一方的にインディアンを悪者扱いするそれまでの西部劇とは違い、インディアンの心がわかってしまった白人の目から、当時のアメリカ社会を批判するという斬新なストーリーも高く評価されました。

4人の歴代大統領の顔が彫られたマウントラシュモア

原作はマイケル・ブレイクによるものですが、ケビン・コスナーは自らも監督も兼任するという事で映画化を懇願したのだそうです。しかも全私財を継ぎこんで・・・。しかしなぜ彼はこれほど、原作に興味を持ったのでしょう?

アカデミー賞作品ダンス・ウィズ・ウルブス製作 きっかけは卒業旅行

コスナー自身チェロキーとドイツ、アイルランドの混血だそうですが、実は卒業旅行でサウスダコタを訪れたのがきっかけでした。

インディアンの聖地と言われる「ブラックヒルズ」を訪れ、クレージーホースを見て感動し、インディアンの歴史に興味を持ち、俳優として大成功をした後もその思いが忘れられず「ダンス・ウィズ・ウルブス」を製作したのだそうです。

クレージーホース記念碑の完成像

では、彼をそこまで感動させたクレージーホースとは何なのでしょう?

同じくブラックヒルズにある、4人の歴代大統領の顔が彫られたマウントラシュモアはご存知の事と思います。そうです、リンカーン、ワシントン、ジェファーソンそしてルーズベルトの18メートルもある胸像を、国家プロジェクトして400人の作業員が14年間もかけて固い花崗岩に彫り上げた記念碑ですね。世界中から年間300万人もの人が訪れる正にアメリカの象徴とも言える観光スポットです。

そしてクレージーホース記念碑は、このマウントラシュモアからわずか27kmのところにある、その10倍もある巨大な彫刻なのです。ただし完成すれば・・・・

天から啓示を受けたクレージーホース ケビン・コスナーの壮大なプロジェクト

クレージーホース記念碑はラコタ族酋長ヘンリー・スタンディング・ベアがポーランド人の彫刻家コルチャック・ジオルコウスキーに「インディアンにも偉大な英雄がいる事を白人達に知って欲しい、マウントラシュモアより大きいクレージーホースの像を造れないか?」と依頼し、1947年に製作が始まりました。

完成すれば高さ170m、長さ195mとマウントラシュモアも足元にも及ばない世界最大の彫刻となります。1982年にコルチャックが74歳で亡くなった後も5人の息子と5人の娘に遺志が引き継がれ、今も製作が続けられています。

驚くことに連邦政府からの援助は、政府の都合で中止になる事を嫌い一切断り、非営利団体からの寄付金だけで今もコツコツと作り続けているのです。

クレージーホース記念碑

クレージーホースはカスター中佐率いる第7騎兵隊を全滅させたラコタ族の英雄でした。12歳の時に、白人によって酋長達が虐殺されるのを目撃した事をきっかけに、山に籠って座禅をするというビジョンクエストを行いました。己を知り天からのヴィジョンを受けるための断食断水を伴う過酷なインディアンの伝統儀式です。

はたして馬に乗り顔に不思議な模様を描いた男のヴィジョンが現れ、「常に質素ないでたちでいること」「常に弱き物を助け、分け与えよ」といった啓示を受け、生涯それを実行しました。彼が部族の中の弱い立場の人々から熱狂的に愛されたのは言うまでもありません。

また2つのタブー「自分のための物を持たない」「他人に腕を掴まれてはならない」も授かりますが、1つ目のタブーを破った際には大怪我をし、また2つ目のタブーは、白人に腕を掴まれた事で彼は刺殺されてしまいます。コスナーが私財を全部投げ出して映画製作に打ち込んだのも、このクレージーホースの生き方に感銘を受けたからかもしれませんね。

デッドウッドにある「Tatanka Story of Bison Museum」

インディアンの聖地ブラックヒルズには人口1300人足らずの小さな町、デッドウッドがあります。一時はゴールドラッシュに沸いて25,000人が暮らしていた町です。コスナーはここに“Tatanka Story of the Bison“という博物館まで作ってしまいました。

タタンカというのはラコタ族の言葉でバッファロー(アメリカンバイソン)の事です。ここでは、タタンカがいかに人々の生活に欠かせない動物以上の存在であったか、タタンカで作られたありとあらゆる生活用品の展示を通じて伺い知る事ができます。

これって、日本人がを食用としてのみならず、骨や皮を石鹸や口紅、髭は釣り竿、靴べらや文楽人形のバネ、筋はラケットのネット、脳下垂体はホルモン剤などに活用し、鯨が日々の生活と深い関わりがあったのと似ていませんか?

また子供の「へその緒」を入れた飾り物を腰につけて踊るというラコタ族の儀式があるそうですが、「へその緒」を木箱に入れて大切に保管しておくという日本の風習にも何か通じるものがありそうです。

デッドウッドにある、ケビン・コスナーのレストラン「JAKE」に展示された衣装

コスナーの夢は、この辺鄙な田舎町にいつの日か鉄道を通し、ホテルを経営する事だそうですが、「JAKES」というレストランもオープンしています。なんでこんな田舎町に? と思うほど洒落た本格的なレストランで、店内には彼が実際に映画のシーンで使った数々の衣装や小物が展示されています。

インディアンの聖地ブルックヒルズに国家プロジェクトで造られた白人世界の象徴であるマウントラシュモア、そして1つの遺志を継いだ1家族が今なお作り続ける遠大なプロジェクトであるクレージーホース記念碑

サウスダコタというと陸の孤島のようなイメージがありますが、ケビン・コスナーのファンならずとも一度は訪れてみる価値はあるのではないでしょうか。もう1つのインディアンの聖地、そして「未知との遭遇」の舞台となったデビルズタワーもすぐ近くです。

映画「未知との遭遇」の舞台となったデビルズタワー

 

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関 克久