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繁盛している旅館をある日突然廃業そして10室しかないお宿にしてしまったのは何故? 山中温泉かよう亭

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目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 39

繁盛している旅館をある日突然廃業、そして10室しかないお宿にしてしまったのは何故? 山中温泉かよう亭

日本には大小合わせて約45,000軒の旅館があるそうです。その中でたった10部屋しかなく、また一度も宣伝をせずに何時の間にか日本一の朝食と評判になり、アメリカのガイドブックで「Japan’s 4 Best Ryokan」と紹介されました。国内ばかりでなく海外からの客足も絶えないこのお宿は、松尾芭蕉が愛した事で知られる石川県山中温泉の「かよう亭」です。ではどうしてそれ程に評判となったのでしょう。

山中温泉 かよう亭

山中温泉 かよう亭

理由は今から40年前に遡ります。先代の創った旅館は経済成長の波に乗り増築を繰り返し50室あまりの旅館となっていました。1973年、現社長の上口昌徳さんはその温泉旅館を先代の留守中に唐突に休業、廃業という無謀な計画を断行します。父との激しい争いの後、諦めた父から実権を渡され4年後に水のせせらぎと緑いっぱいの山間に10室の「かよう亭」を造り上げます。当然、銀行からは時代逆行と見放され以後10年間苦難な道を歩みます。

敢えてこの苦難な道を選んだ所以は何だったのでしょう?

それは「風景」「風土」という言葉の意味の深さと大切を知った事が総てですと、そして理論家でも無い私がその大切さを伝えようとすれば、身をもって体験し続けてきたことを通して伝える以外になかった。だから「自然」「風景」「風土」に限りなく畏敬の念をもって造り上げた小さな「かよう亭」物語から始めたのです、、と。83才になられる上口さんは教えてくれます。上口さんは今でもラウンジでお客様と語らい、そしてどんなに朝早くてもお客様のお見送りをされています。

かよう亭 ラウンジ古今サロン

かよう亭 ラウンジ古今サロン

日本の「風景」「風土」の大切さをドイツの建築家に教えられる

上口さんはどんなきっかけで「風景」「風土」という言葉の意味と、大切さを知ったのでしょう? 東京での学業を終え古里に戻り、父の旅館の増築に従事していた中で手にした1冊の本で目覚めたのだそうです。それはドイツの建築家ブルーノ・タウト「日本の美の再発見」という本でした。桂離宮、伊勢神宮や飛騨白川郷の農家の日本建築に「最大の単純の中の最大の芸術」の典型を見出し、日本の伝統建築を通じで日本文化の深奥を綴ったものです。

四季の移ろいがあまりにも鮮やかな日本では自然を愛し、限りなく畏敬の念を抱かればこそ「風景」という一語は生き続ける。「風」を冠した「風情」「風格」「風物詩」等々、不思議に耳に心地よく心和ませてくれる言葉、それは自然を愛でる心の強い日本であることの証だろう、そして多くの人達から与えられた「風景」「風土」への畏敬の念の啓示によって今日の心身の充実した日々があるのです、と。

かよう亭 お部屋のベランダの露天風呂

かよう亭 お部屋のベランダの露天風呂

このコンセプトだけでも世界中から訪れる理由がわかりますね。でも「かよう亭」の魅力はそれだけではありません。上口さんは当時の旅館の常識だったあまりにも空しい全国一律の似非懐石料理に決別します。可能な限り地場の素材を使い、自分達が選んだ地の器に盛って、一品一品を温かく、あるいは冷たいまま、朝は好きな時間に起きていただき、熱いだしまき卵、地の岩海苔、野の幸、山の幸を召し上がっていただきたいと。

そしてその思いがさらに進化し、日本一の朝食と言われるまでになったのです。他界された料理長、石政進氏との共著である「日本の宿 かよう亭の料理」という本は絶版になってしまいましたが、今でも料理人の間では貴重な調理本として珍重されています。

上口昌徳さんと料理長だった石政進さん共著の「かよう亭の料理」

上口昌徳さんと料理長だった
石政進さん共著の「かよう亭の料理」

旅館は地元の伝統、工芸のショーケースであるべきというコンセプト

かよう亭の夜の一時を演出する和風ラウンジには、黄金色に鈍い光を放つワイングラスが置かれています。まるで箸のように軽いこのワイングラスは、地元の著名な木地師、佐竹康宏さんがろくろで欅の木で造り上げたものです。その得も知れぬ美しい木目、唇が触れた時の感触、ワインの香りをふわっと包み込む形は、千年の歴史と伝統を持つ職人芸のなせる技です。

佐竹康宏さんのギャラリーに展示されたワイングラス

佐竹康宏さんのギャラリーに展示されたワイングラス

佐竹康宏さんの工房やご自宅にあるギャラリーには「かよう亭」に宿泊すると訪問する事ができます。外国のお客様の中には1日中ギャラリーで過ごされた方もいらしたとか。これは「旅館というものは、その土地の職人が代々綿々と受け継いだ伝統のショーケースでなくてはならない」という上口さんのコンセプトを表しています。

かよう亭ではの至るところに地元の職人達の作品がさりげなく展示され、また毎日使用されているのです。もちろん地元の食材もふんだんに使われています。合鴨農法による無農薬の米、地鶏の卵、白山の清流水で作る豆腐、アルカリ水と地元の粉で作る和菓子、4代目が醸造する醤油、240年続く14代目が醸造するお酒等々が食卓を飾ってくれます。

「日本の宿はその地の文化紹介の場であるべきです。ホッと、人間としての我が身に甦って明日に生きる活力に溢れる、そんな宿でありたいのです。また、宿は人々の心の交わりの場でなくてはならないはず。旅人とおもてなしをする者の温かくて真摯な心が交わって知恵が深まる場でもあるのです。そして人々が無くしつつある自然と人との共存を願う良心の場でもありたい」

と、上口さんは著書の中で述べられています。

日本一の朝食と評されている、かよう亭の朝食

日本一の朝食と評されている、かよう亭の朝食

かよう亭を後にする時、自分の中の何かが変化したことを感じるはずです。かよう亭が五感をリフレッシュさせてくれたのでしょう。「夢は夢と思う人には、夢は夢」と、上口さんは見送ってくれました。北陸新幹線の開通でより身近になった北陸地方、出かけてみてはいかがですか?

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関 克久