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旅のエスプリ

メキシコ大使館はなぜ東京の一等地に? 強い絆で結ばれた日墨関係のルーツを探る

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 41

メキシコ大使館はなぜ東京の一等地に?強い絆で結ばれた日墨関係のルーツを探る

アメリカに住んでいる皆さんなら、メキシコに足を運ばれたこともあると思います。人気の観光地はカンクン、アカプルコ、グアナファトにロスカボス、カリフォルニアからならティファナも身近です。最近は観光だけでなく、アメリカに隣接している利便性と安い労働力を背景に、自動車メーカーが続々とメキシコに進出していることから、日系のメーカーやサプライヤーに勤務する日本人が数多くメキシコに住んでいます。

メキシコシティー メトロポリタン大聖堂

メキシコシティー メトロポリタン大聖堂

東京に目を転じてみましょう。在日メキシコ大使館がどこにあるかご存知でしょうか? 答えは永田町二丁目。ここは国会議事堂や首相官邸があるエリアで、東京、いや日本で超一等地とも言えるロケーションです。間違いなく、在日大使館の中で最高の場所をメキシコは確保していると言えるでしょう。そこで、なぜメキシコ大使館がそのような場所にあるのか、話を明治時代に戻して、両国の友好の歴史を紐解いてみたいと思います。

金星観測団長の観察眼

明治7年(1874年)12月9日は金星が太陽面を通過するという、100年に1度の日で、各国でその観測が行われました。中でも日本が観測には最適とされ、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスの観測隊が続々と日本に上陸。コバルービアス団長率いるメキシコ観測団も、米国東海岸経由でアメリカ大陸を横断した後、サンフランシスコから太平洋を渡り、11月8日に横浜に入港しました。

観測当日は快晴に恵まれ、コバルービアスは無事に大任を果たしたのですが。彼が素晴らしかったのは、この時に日本の外務省に出向き、日墨友好条約締結を寺島外務大臣に勧めたことだったのです。

野毛山の観測所

野毛山の観測所

そのような行動に出た理由は、彼が滞在中に観察した日本の特性や日本人の長所にありました。

「日本人は勤勉でまじめ、教育が行き届き、礼節をわきまえている。彼らがメキシコに移住してくれば、日本人はどのような不利な境遇に置かれても努力と勤勉さで成功し、メキシコ国民の良き手本となるだろう。

さらに日本の警察は武器を使用しない。これは日本人が警察に対して尊敬の念を抱いているからで、警察が力に訴える必要がないからだ。同時に家は木や紙で造られているにもかかわらず泥棒が少ない。我々が住んでいた場所からも盗まれた物は何一つなかった」

と、後にメキシコ政府への報告書の中で記しています。メキシコの観測団の団長は、金星を観測するだけでなく、人間を見る観察眼にも優れていたようです。

フランシスコ・ディアス・コバルービアスの日本旅行記

フランシスコ・ディアス・コバルービアスの日本旅行記

大統領夫人が避難した先は…

コバルービアスはメキシコに戻ってからも日本の宣伝に努めました。それが実り、帰国13年後の1888年、日墨友好通商条約が締結されました。日本にとって初の、互いが対等な関係にある平等条約となりました。1910年、メキシコは独立100年祭に国中が湧いていました。そして、メキシコシティでは日本博覧会が開催されました。

このイベントを牽引したのは、堀口九萬一公使、彼は詩人の堀口大学の父です。各国が100年祭に開いた博覧会の中でも日本のものは大人気で、「美とエキゾチックの極致」と新聞にも絶賛されました。また、堀口公使は開会式で次のようなスピーチを披露しました。

「我が帝国と貴国メキシコは太平洋をはさんだ隣国である。距離こそあれ、大海の水でつながっている。太平洋はその名の通り、穏やかで平安である。両国は人種的にも同化し、深い絆で結ばれなくてはならない」

公使のこの言葉が単なる美辞麗句の建前でなく、真実であったことが、直後に証明されることになります。独立100年祭に酔いしれた3カ月後メキシコにクーデターが起こり、人々を大混乱に陥れたのです。

メキシコ独立100周年祝賀の1つとして展示された日本工業製品展

メキシコ独立100周年祝賀の1つとして展示された日本工業製品展

標的となったのはもちろん、時の大統領マデロでした。そして堀口公使の二番目のベルギー人妻のスチナはマデロ大統領夫人に非常にかわいがられていました。その日頃の親交関係もあり、何と夫人と両親、妹たちが避難場所に選んだのが日本公使館だったのです。総勢30人にのぼる大人数でした。大統領夫人は自分たちの安全を守ってくれる人々だと、日本人のことを信頼してくれたのです。

それを聞いて歓喜したのは、メキシコに大勢暮らす日本人移民たちでした。彼らは内乱で商売どころではない店を捨て、日本公使館につめかけ、護衛や情報収集、手伝いなどに奔走しました。必要な手伝いの中でも電報を出しに行くのは勇気あることでした。当時、メキシコに滞在していた公使の息子、堀口大学は次のように記しています。

「電信局は市の中心にあった。戦争もまた市の中心にあった。ここへはどうしても自動車で行けなかった。自動車と見れば蜂の巣のように機関銃で穴だらけにされてしまうのである。しかし、戦況を報告する電報を日本に出さねばならなかった。一里もある所を徒歩で行ってくるのである。他国の公使館でも本国へ電報を出したいのだが、電信局へ行く人がいないのである。日本人のように向こう見ずな蛮勇の持ち合わせがないのである」

1888年に調印された日墨修好条約

1888年に調印された日墨修好条約

こうして大統領夫人一行を守り抜いた日本公使側でしたが、マデロ大統領自身は革命軍に捕らえられ、監獄で銃殺されてしまいました。公使は遺体の引き取りを交渉するなど最後まで誠意を尽くしましたが、それは叶わず、遺体を一見する許可は得たということです。その2カ月後、帰国命令を受けた堀口公使はメキシコの平和を祈りながら「隣国」である日本への帰途に就いたのです。

次回、皆さんがメキシコを訪れる際には、このような日墨関係の歴史について思いを巡らせると、より親しみに溢れた光景が見えてくるかもしれません。

(参考文献)
「日本メキシコ交流400年漂流から孤立100年祭そして榎本殖民」萩野正蔵、戸田眞
「メキシコに来た日本人使節 記録者チマルパインがナワトル語で書いた歴史証言」ミゲル・レオン・ボルティーヤ

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関 克久

関 克久

Sales & Marketing Div., GM at JTB USA Inc.,
旅行のプロデュースに携わって30年。趣味は写真。「百聞は一旅に如かず」旅に出て初めてわかるのは、実は故郷の良さなのかも知れません。旅は百薬の長がモットーです。
関 克久

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