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旅のエスプリ

世界のコンサート・アーティストに愛用される あのピアノのルーツはキッチンだった。スタインウェイ&サンズの第一号ピアノの製造番号は483

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 44

世界のコンサート・アーティストに愛用される あのピアノのルーツはキッチンだった

少し前の本誌の特集で、盲目のピアニストの辻井伸行さんのインタビュー記事がありました。辻井さんのお母さんによると、生後8か月でショパンの「英雄ポロネーズ」を聴かせると足をバタバタさせて喜んだのだそうです。

別のピアニストの演奏をかけたら全く反応がなかったので、不思議に思った母がもう一度最初のピアニストのCDをかけたら、やっぱり以前と同じように足をバタバタさせて喜んだという話がありました。この時すでに演奏を聴き分ける能力があったのですね。まさに辻井さんは天才ピアニストです。

スタインウェイ&サンズの第一号ピアノの製造番号は483

さて今回はピアノのお話です。ニューヨークの地下鉄のM、Rラインのスタインウェイ駅を降りると昔ながらの風情のある個人商店が軒を連ねるスタインウェイ通りがあります。そうです、あのアメリカが世界に誇るピアノメーカー、スタインウェイ&サンズに由来した通リです。

創立は1853年、ドイツの家具職人だったヘンリー・エンゲルヘルト・スタインウェイが自宅のキッチンで13年をかけて最初のピアノを作り上げたのがきっかけで、10年間で482台のピアノを造り、その後アメリカに移住して同社を創立したのだそうです。

従ってスタインウェイ&サンズのピアノ第一号の製造番号は483というわけです。ちなみに彼初めて製作したピアノは、キッチンピアノと呼ばれメトロポリタン美術館に展示されています。そして483番のピアノはニューヨークのグリスワルド家族に$500で販売されましたが、同じくメトロポリタン美術館に展示されています。

キッチンピアノと製造番号483が展示されているメトロポリタン美術館

キッチンピアノと製造番号483が展示されているメトロポリタン美術館

その後の30年間で、ヘンリーとその5人の息子たちは、持ち前の正確無比な木工技術と近代音響工学を合体させピアノ製造における基礎を築き上げます。

長男のテオドールはドイツで音響学を学び、127もの特許技術の開発に貢献しました。経理と販売を担当した4男のウィリアムは1866年、ニューヨークの14丁目、5番街とユニバーシティープレイスの間に最初のスタインウェイホールをオープンしました。

100台のピアノと2000席のメインホールを備えたスタインウェイホールは瞬く間にニューヨークの芸術と文化の中心となり、1891年にカーネギーホールがオープンするまでの25年間、ニューヨーク交響楽団の本拠地として使用されたのだそうです。

ちなみに同年の5月5日のカーネギーホールのこけら落としでは、チャイコフスキーが自作のMarche Solennelleを指揮しています。

こけら落としでチャイコフスキーが指揮棒を振ったカーネギーホール

こけら落としでチャイコフスキーが指揮棒を振ったカーネギーホール

また、スタインウェイはピアノ業界で初めて広告を出した事でも有名ですが、職人のみならずビジネスの才能もなかなかのものだったようです。

著名なピアニストをスタインウェイ・アーティストとしてコンサートツアーを企画し、その第一号のルービンシュタインは、239日間、215回のパフォーマンスを行い大成功を収めました。土曜日のコンサートでは立見席を設け3000人の聴衆を集めたそうです。

そして月曜日には何台もピアノが売れたという訳です。世界恐慌の中でスタインウェイが生き延びた理由も頷けますね。ラフマニノフブレンデルそしてホロヴィッツも続いてスタインウェイ・アーティストとなっています。

1866年にオープンしたスタインウェイ・ホール

1866年にオープンしたスタインウェイ・ホール

 

1884年には製造番号51257番のモデルDという、最初のコンサート用グランドピアノが完成しました。よくコンサートで見かけるグランドピアノの原型となったモデルです。当時の価格は1400ドル。今では20万ドル位しますから約150倍の価値になったという事ですね。

そして10万台目を記念するピアノは1902年にセオドア・ルーズベルト大統領のために製造されました。金箔で覆われて5倍の費用がかかったそうですが、無償で寄贈されホワイトハウスのイーストルームに置かれました。

現在はワシントンDCの国立自然史博物館のファースト・レディーズ・ホールに展示されています。ちなみに30万台目のスタインウェイが替わりにイーストルームに置かれているとのこと。

セオドア・ルーズベルト大統領に寄贈された10万台目のピアノが展示されている国立自然史博物館

セオドア・ルーズベルト大統領に寄贈された10万台目のピアノが展示されている国立自然史博物館

ホロヴィッツに贈られた製造番号314503、そして製造番号60万番目のお値段は?

さて、スタインウェイと言えば巨匠ウラディミール・ホロビッツをまず思い浮かべる人が多いでしょう。彼は1928年の1月13日に25歳でカーネギーホールでアメリカデビューを果たしました。

演目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番。同時にアメリカデビューした揮者ビーチャムとテンポで対立して、序々にテンポを上げ圧倒的な加速で弾きったという逸話が残っています。

その際にスタインウェイ・ホールの地下室で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をラフマニノフと一緒に弾いたそうで、以後ホロヴィッツの代表的な演目となったのだそうです。

ホロビッツは生涯、数台のスタインウェイピアノしか弾かなかったと言われますが、彼の愛用した製造番号314503は彼とトスカニーニの令嬢ワンダさんとの結婚式のお祝いにスタインウェイが贈ったピアノだそうです。スタインウェイがこのような特別待遇をしたのは、後先にもこれ1回だけだとか。

さて、昨年「ザ・フィボナッチ」と名づけられ自然界に見られる幾何学模様を表現し、フィボナッチ・スパイラル(螺線)をモチーフにしたピアノが作られました。フルコンサートモデルのD-274を基に4年間をかけて完成されたこの記念すべきモデルが、なんと60万台目。気になるお値段は240万ドルだそうです。

6台限定で同様のデザインでB-211モデルを元にしたピアノも製造されるそうですが、100年後には150倍になるかもしれませんね。

ニューヨークのクイーンズ区にあるスタインウェイ通りは、今でも小さいながら手入れの行き届いた前庭のある一戸建ての小綺麗な住宅が立ち並ぶ街です。そしてその先にあるスタインウェイ&サンズの本社では、当時より規模は小さくなっていますが、1台に1年をかけるという妥協を許さない精魂込めたピアノ作りが現在も行われています。

世界のコンサート・アーティストの10人中9人が愛用する名機が作り出される現場を見学できるファクトリーツアーもありますので、是非参加されてみてはいかがでしょうか?

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関 克久

関 克久

Sales & Marketing Div., GM at JTB USA Inc.,
旅行のプロデュースに携わって30年。趣味は写真。「百聞は一旅に如かず」旅に出て初めてわかるのは、実は故郷の良さなのかも知れません。旅は百薬の長がモットーです。
関 克久

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