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ボストンで是非訪れてみたいプライベートコレクション イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」旅のエスプリ

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol.47

ボストンで訪れてみたいプライベートコレクション
ベニス風のパラッツォの美術館

日本からJALの直行便が就航して一段と便利になったボストン、ニューヨークから車で4時間半、コネチカット湾の沿って走るアムトラックでも4時間で行ける、東海岸を代表する都市です。ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、バークリー音楽院を始め、ボストン美術館、ケネディーライブラリーなどなどアメリカの歴史が息づく魅力溢れる街ですね。

ボストンのクインシーマーケット

ボストンのクインシーマーケット

ボストン美術館に行った事があるという人は多いと思います。岡倉天心が東洋部長を務めたこともあり、快慶作・弥勒菩薩立像など日本美術の優品が多い事でも有名です。でもすぐ近くにあるイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に行った事のある人は少ないのではないでしょうか? プライベートコレクションとしては、恐らく世界一有名な美術館です。その理由は後ほどご説明しましょう。 プライベートコレクションを展示した美術館は多々あります。ロサンゼルスのゲッティービラ、フィラデルフィアのバーンズコレクション、ニューヨークのフリックコレクションなど、何れも立派な豪邸に高価な絵画が飾られています。しかしイザベラとその夫ジャックは絵画の解説文がずらりと並ぶだけの温かみの無い殺風景な美術館を嫌って、日常の生活の匂いがする中で身近に芸術品を楽しめるようにと、15世紀のベニス風のパラッツォを建てて美術館にしてしまいました。そして暖炉や、フレスコ壁画、バルコニー、タペストリー、民芸品や骨董品などのありとあらゆる国の芸術品で部屋を満たしました。そして4階建ての中央には大きなガラス屋根が施され、暖かい陽光が重要な展示室に注がれるように設計し、また中央には地中海風の庭が設けられ、咲き乱れる花々と共に美術作品が鑑賞できるようにしました。他の美術館と違って館内の空気がなんとなく暖かいというか、アットホームな雰囲気を感じられるのも頷けます。

無名のフェルメールの「合奏」を落札
美術史上最大の盗難事件とは

さて、この美術館を世界的に有名にしたのは、皮肉な事に今から25年前に起こったある事件でした。それは美術史上最大の盗難事件として今なお未解決の事件でもあります。その発端の出来事は今から120年前、1892年12月4日に遡ります。その日、パリのドォルオーで開催されたオークションであるオランダ人画家の地味な作品が31番目に差し出されました。この作品が20世紀最大のミステリーな窃盗事件の主役になるなど、誰も予想できませんでした。競りが始まるとイザベラはレースのハンカチを顔に近づけます。それは専属の画商に競りを続けろという合図でした。31番の作品は当時まだ日の目を見てなかった画家ヨハネス・フェルメールの「合奏」、象牙色のスカートに黒と金のボディスを来た若い女性がハープシコード弾き、もう一人、毛皮のついたオリーブ色の部屋着を着た女性が楽器のそばで歌い、長い黒髪の男性が背を向け椅子に腰かけているという作品でした。 値段はどんどん上がりルーブル美術館とロンドンのナショナルギャラリーの代理人との競り合いになりましたが、イザベラが2万9千フラン(約5000ドル)で落札してしました。ルーブルとナショナルギャラリーが脱落したのは、イザベラの代理人を関係者と勘違いし、美術館どうしで競り上げるのはマナー違反だと思ったからで、後で生意気な金持ちのアメリカ人女性に「合奏」をボストンに持って行かれるという事を知って、随分と落胆したのだそうです。イザベラは「合奏」を、1629年作のレンブラントの自画像、ヴァン・ダイク、ハンス・ホルバインなど共にオランダ室に飾ります。赤い大理石の暖炉はベニスから、食卓はトスカーナから、タペストリーはベルギーから、イタリア製の天井にはマルスとヴィーナス、パリスの審判という、オランダ室はほぼすべてを海外から輸入した17世紀の芸術作品で満たされ、イザベラのお気に入りの部屋でもありました。

フェルメールの「合奏」

フェルメールの「合奏」

そして1990年3月、聖セントパトリックデーの翌日の日曜日の深夜、米国史上最大の窃盗事件が起きたのです。警官を装った2人組が、2人の若い守衛を騙して潜入したのです。守衛は「いかなる場合にも鍵を開けてはならない、例外は一切無い」と厳命されていたにも拘わらず、八角の官帽をかぶったボストン警察の制服の出で立ちに騙されてしまったのです。髪を伸ばした若い守衛は二人ともミュージシャンを目指すバークリー音楽院の学生でした。 ドアを開けてから警官では無いと気づいた時は既に遅し、強盗はたっぷり1時間以上もかけて「合奏」他、レンブラントが描いた唯一の海洋絵画である「ガラリアの海の嵐、「自画像」、ドガのドローイング5点、マネの「トルトニ亭にて」など、⒔点もの名画を奪い去ってしまったのです。これらの美術品の総価値は5億ドルと言われ、ボストン警察とFBIが100人がかりで捜査を始めたにも拘わらず手がかりは得られませんでした。美術館は発見につながる情報に懸賞金を提示し、500万㌦にもつり上がったため、ジャーナリスト、マフィアしまいにはペテン師までもが情報提供に乗り出し、今も捜査が続けられていますが謎が深まるばかりで見つかってはいません。どこかで「合奏」やレンブラントを独り占めにしている大富豪がいるのかもしれませんね。この事件は映画『消えたフェルメールを探して』や、日系人の元FBIの捜査官だったロバート・ウィットマン氏の著書「FBI美術捜査官 奪われた名画を追え」でも取り上げられていますので、是非ご覧になってください。

イザベラ・スチュワート・ガードナーの肖像

イザベラ・スチュワート・ガードナーの肖像

イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館は彼女の主張である「美術品は日常の中で身近に楽しむもの」という考え方が、まるで一つの芸術作品として至るところに感じられるような美術館です。「展示品の位置を変えない事」という遺言に従い、現在でも空の額がもとのままに壁にかけられているオランダ室も一見の価値ありです。是非ボストンに行かれたら訪れてみてはいかがでしょうか? もちろん、ワシントンのナショナルギャラリー、メトロポリタン美術館、フリックコレクションのフェルメール10点もお忘れなく。 

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関 克久