旅のエスプリ

杉原千畝の「命のビザ」ユダヤ難民の日本経由欧州脱出劇 その陰にジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)の尽力

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 22

杉原千畝の「命のビザ」ユダヤ難民の日本経由欧州脱出劇 その陰にJTBの尽力

「命のビザ」と言えば、今や知らない人はいないでしょう。1940年、リトアニアの在カウナス日本領事館に領事代理として赴任していた外交官の杉原千畝が、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害から逃れるためヨーロッパ脱出を図っていた避難民にビザを発給し、その6千人の命を助けたという史実です。

しかし、当時、日本はドイツと同盟関係にあり、日本政府は杉原の独断で成された行動を、戦後長きにわたり、認めませんでした。1947年には外務省から退職通告書が出され、その後、杉原は職を転々とすることになるのです。

自らの失職を覚悟の上でビザを書き続けた杉原の名誉が回復されたのは、スギハラチルドレンとして世界中で生き延びた元ユダヤ難民とその子供たちが杉原の偉業を称える声を上げたからです。そして、日本政府は当時の河野洋平外務大臣のスピーチで、杉原千畝に正式な謝罪を行いました。時は既に2000年、本人の没後であり、命のビザを発給してから60年の月日が経っていました。

民間外交の担い手として、日本海渡るユダヤ人を添乗

杉原領事代理によって書かれたビザを手にした難民たちは、シベリア鉄道でウラジオストックに辿り着き、そこから日本海汽船所有の天草丸という老朽船で日本の福井県敦賀をめざしました。

ウラジオストックから敦賀に避難民を運んだ天草丸

そのお世話をしたのが、JTBの前身、ジャパン・ツーリスト・ビューローの職員たちだったのです。天草丸は1940年後半から1941年春にかけて、多くのユダヤ人を20数回に分けて日本に運びました。4人のスタッフが交替で添乗した中、最も回数が多かったのが大迫辰雄でした。

天草丸船上の避難民と撮影した写真と共に立つ大迫辰雄さん

アメリカのユダヤ難民救済協会から、ウォルター・ブラウン社(現在のトーマスクック社)経由でジャパン・ツーリスト・ビューローにユダヤ難民輸送船の添乗斡旋の依頼が舞い込んだ時、東京本社は、果たしてその仕事を受けていいかどうかという躊躇と懸念を持って受け止めました。杉原が同盟国に逆らったことで後に不遇の時代を過ごしたことでもわかるように、ビューロー内にも政府の意に反するようなことをしていいのだろうかと保身を主張する意見も当然のようにあったからです。

しかし、トップが出した答えは「人道的見地から引き受けるべきである」というものでした。杉原、さらにジャパン・ツーリスト・ビューローの英断と勇気ある行動があったからこそ、多くのユダヤ人の命が助かったことは紛れもない事実です。

大切な写真に感謝の言葉。親身な世話を裏付ける証拠

さて、話を天草丸の大迫に戻しましょう。アメリカの難民救済協会から送られてきた名簿をもとに、船上の難民一人ひとりに身元確認を行うことも彼の仕事の一部でした。しかし、シベリアを越えて極東に辿り着き、さらに時化で荒れ狂う冬の日本海上という悪条件の中、疲労と船酔いに苦しむ難民に身元確認を行うことは至難の業だったようです。さらに見慣れないユダヤ系の名前、一体どう発音するのかもわからず、作業完了には長い時間を要しました。

それでも、大迫は「民間外交の担い手」として、親身に難民の世話を続けたのです。その証拠に、彼が7名のユダヤ人乗船者からもらった写真が残されています。それぞれの肖像写真の裏には、フランス語やポーランド語、さまざまな国の言葉で大迫への感謝が記されているのです。着の身着のままで脱出してきた彼らにとって、写真は大切な思い出のはず。その写真を渡すとは、いかに彼が深く感謝されていたかを物語っています。

天草丸船上の大迫さんと満面の笑みを湛えた避難民の女性

日本に着いた難民たちは敦賀にしばらく滞在した後、神戸や横浜に移動します。そこから多くはアメリカやカナダ、南米に移民していったのです。日本経由でヨーロッパを脱出したユダヤ難民は1万5千人にのぼるとも言われていますが、確かな数字ではありません。しかし、確かに記録が残っているのが、同じくビューローの職員だった岩田一郎のエピソードです。

彼は1940年にジャパン・ツーリスト・ビューローのニューヨーク事務所に赴任してきました。そして前述のウォルター・ブラウン社とビューローの日本本社との仲介役を務めます。その時に、ウォルター・ブラウン社から預かった難民救済金のうち、予定した人数に達しなかった分のお金を丁寧にも返金したというのです。

つまり、ヨーロッパは無事脱出したものの、ウラジオストックに着くまでにロシアの官憲に捕まってシベリア送りとなったユダヤ人も相当数いたと言われているため、用意した救済金の一部は行き先を失ってしまったのです。杉原同様に、日本政府に逆らう行動でも人道的見地からユダヤ難民を救ったジャパン・ツーリスト・ビューローの精神は、律儀さ、そして正直さを表すものでもあったと言えるでしょう。

「命のビザ、遥かなる旅路、杉原千畝を陰で支えた日本人たち」(交通新聞社新書)私自身、JTBに所属する人間として、「命のビザの陰にJTBあり」という光に当たることのなかった事実を知ることで初心に返ることができました。常に一人ひとりのお客様の立場に立ってお世話をすること、自分が正しいと信じる道を進むこと、その大切さを改めて噛み締めている次第です。

今回のテーマを書くに当たり、大迫さんの部下だった北出明さんの著書「命のビザ、遥かなる旅路、杉原千畝を陰で支えた日本人たち」(交通新聞社新書)を参考にさせていただきました。北出さんは国際観光振興会、現在のJNTO)勤務時代、ある日送られて来た「日本交通公社七十年始」という中で「ユダヤ人渡米旅行の斡旋」という項目が目に入り読み進んでいくうちに、北出さんの恩人とも言うべき大迫辰雄さんの名前を見つけ、執筆を思い立ったのだそうです。日本人としての誇りを再確認できる同書、是非ご一読をおすすめします。

北出明さん(2014年3月 ニューヨーク・グランドセントラル駅で催されたジャパン・ウィークにて撮影)

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関 克久

関 克久

Sales & Marketing Div., GM at JTB USA Inc.,
旅行のプロデュースに携わって30年。趣味は写真。「百聞は一旅に如かず」旅に出て初めてわかるのは、実は故郷の良さなのかも知れません。旅は百薬の長がモットーです。
関 克久

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