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カリフォルニアのワイン王は薩摩の侍? 13歳で海を渡り、偽名のまま生涯を過ごす

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目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 14

カリフォルニアのワイン王は薩摩の侍?

今やオーパスワンやロバート・モンダヴィ、映画監督フランシス・コッポラによるコッポラなど、人気のワイン産地として世界的に知られているカリフォリニア。しかし、当コラムの6話目でもご紹介したように、カリフォルニアワインが世界に初めて認められたのは1976年のことでした。覚えているでしょうか? 件のワイン・コンテスト「パリスの審判」を主催したのは、イギリス人のスティーブン・スパリュアでした。そして、カリフォルニアワインで初めてイギリスに輸出されたのは、日本人のワイナリー・オーナー、しかも元は薩摩藩の天文方の家に生まれた長澤鼎(かなえ)が手がけたワインだったのです。

13歳で海を渡り、偽名のまま生涯を過ごす

若かりし頃の長沢鼎長澤鼎こと、本名、礒永彦輔は1852年、今の鹿児島市内に生まれました。幼い頃から成績優秀だった彦輔は13歳で薩摩藩が編成した渡英留学生団の1人として選ばれ、串木野港を出航、イギリスのサウザンプトンに渡りました。藩の命とは言え、当時、まだ鎖国中であったため、全員が偽名を使用して出国しました。その後、名乗り続けた長澤鼎という名前も、その時に付けた偽名でした。

イギリスに着いた一行はロンドン大学に入学しましたが、13歳の長澤にだけは大学入学資格が与えられず、1人でスコットランドのアバディーンで下宿しながら、地元の中学に通うことになりました。当時の新聞に、学校の成績優秀者として長澤鼎の名前が掲載されています。外国人でありながら、英語や数学など複数の科目で優秀な成績が収めていたことがわかり、年齢的にも若かったためか、瞬く間に外国生活に順応していった様子が想像できます。

しかし、やがて藩の経済事情により、留学生たちは帰国しなければならなくなります。長澤を含む数名は渡米を決行しますが、やがて長澤を除く全員が帰国していきました。そして、アメリカに残った長澤はキリスト教共同体「新生社」の教祖トマス・レイク・ハリスのもとに身を寄せました。長澤はキリスト教思想を根本とするコミューン設立をめざすハリスの思想に傾倒し、カリフォルニアのサンタローザに夢のコミューンを開設するためにニューヨークから西に移住したハリスとその一行の一員に加わりました。

トマス・レイク・ハリス氏ハリスの教団は1875年に、ソノマのサンタローザにワイナリーを開き、敷地内で牛や馬を飼育し、チーズや牛乳を作り、野菜を育てるという、まさにカリフォルニアミッションのような生活を実践しました。ところが、健康状態に不安を覚えるようになったハリスが引退を表明、東海岸へ戻ることになりました。そこで、長澤はワイナリーを含めた土地を買い取り、教団とは関係なく、自分1人でワイナリー経営に乗り出すことになります。ちょうど1900年のことでした。

その後、長澤が手がけたファウンテングローブワイナリーのカベルネソービニヨンがカリフォルニア内のワイン・コンテストで2位に入賞し、前述のようにカリフォルニアワインとして初めてイギリスにも輸出されるようになると、長澤自身の紳士的な雰囲気も相まって、彼は地元サンタローザの名士の仲間入りを果たすようになります。武家の出身ということもあり、アメリカ人から「バロン」と呼ばれていたということです。

長澤がずっと海外に暮らしながらも、侍の血を忘れていなかったことを示す逸話として、日本海軍の練習艦隊がサンフランシスコに立ち寄った時のことが今も伝えられています。艦隊には薩摩島津家の第30代当主、島津忠重が士官候補生として乗り込んでいました。その話を聞きつけた長澤は、馬車をしつらえて島津を自宅に招き、自宅の門の前で土下座をして、世が世であれば、お殿様であった島津を迎えたのです。

[左]ファウンテン・グローブワイナリーのカベルネソービニオン/[右]長沢鼎の直筆のサインが残るワインケース
エジソンやフォードを自宅でもてなす

さて、1920年になると禁酒法が発令され、ワインを出荷することができなくなりました。しかし、それまでに十分な蓄えがあったバロン長澤は、禁酒法時代でも優雅で豊かな暮らしを送っていたようです。その証拠に、彼の家のゲストブックには、発明家エジソンや自動車王のヘンリー・フォードらの名前が残されています。禁酒法は酒類の販売や輸出、輸入を禁止していただけで、飲酒自体は違法ではありませんでした。そこで長澤は、ゲストを自宅に招き、ファウンテングローブ・ブランドの自家製ワインを彼らに振る舞ったと言われています。
[左]自宅で寛ぐ長沢鼎/[右]長沢鼎とその家族(Hiro,  Kosuke & Amy)
1934年、禁酒法時代が終わりを迎えると、長澤はそれまで保存していた13万ガロンものワインを市場に出荷しました。それにより、さらに彼の財産は膨らみましたが、同じ年、83歳の生涯を静かに終えることになりました。

長澤は遺言として、広大な敷地を甥に引き継ぐことを希望しましたが、日本人排斥法によりそれも叶わず、その後、ワイナリーのあった土地は分割されて売り出され、その一部はパラダイスリッジ・ワイナリーとして今も経営されています。また、残りの土地は、2007年にサンタローザ市によってナガサワ・コミュニティー・パークとして公園に生まれ変わりました。

アメリカ人からはバロンと呼ばれた長澤は生涯独身で、口数も少なかったことから、彼の実像はミステリアスなままです。しかし、旧当主の前で土下座したという例を出すまでもなく、彼は日本人であることを忘れることはありませんでした。そして、多くの日本人の若者をワイナリーに雇い入れていたことでも知られています。生前の彼を知る日本人は「非常に穏やかで、使用人に対しても声を荒げるところを見た事がない」と述懐しています。
[左]サンタローザの高台にある、パラダイスリッジワイナリー/[右上]パラダイズリッジワイナリーの入口/[右下]長沢鼎にまつわる展示品
サンタローザはサンフランシスコ方面からフリーウェイ101号線を北上した場所にあります。フリーウェイからでも見える、赤い円形の馬小屋こそ、長澤のワイナリーの敷地内にあったものです。ソノマのワイナリー巡りをする機会があれば、カリフォルニアワインの発展に生涯を捧げた侍、長澤のワイナリーの跡地を訪れてみてはいかがでしょうか?

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【参照サイト】
Paradice Ridge Winery
4545 Thomas Lake Harris Drive
Santa Rosa, California 95403
http://www.prwinery.com/

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関 克久