あっという間にアンデスの民1600万人を支配したインカ帝国。そして16世紀後半にスペインの侵攻であっという間に滅びてしまったあまりにも謎の多いインカ文明。クスコはそのインカ文明の政治、経済、文化の中心だった。
「アルマス広場」(Plaza de Armas)
ペルーのどの町にも同じ名前の広場がある「アルマス広場」世界遺産のクスコ旧市街の中心地。
インカ帝国時代には、この場所はウアカイパタと呼ばれ、ケチュア語で嘆きの広場または待ち合わせといった意味があったが、現在の呼び名アルマスはスペイン語で「武器」を意味し、スペイン植民地時代に彼らが持ってきた武器に由来している。
またフランシス・ピサロがこの広場で征服宣言をしたことでも有名。周りにはカテドラルや、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会があります。
「カテドラル」(Catedral)
アルマス広場に沿って建つこの大聖堂はかつてのインカ帝国時代にはビラコチャ神殿があった場所。1553年のスペインによるインカ征服後、1550年から100年かけて建造された。
「ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会」(Templo de La compania de Jesus)
かつてインカ11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿であるアマルカンチャ宮殿があった場所に1571年に最初の教会が建造され、その後地震で崩壊し1688年に再建された精巧な装飾に彩られたバロック様式の教会。正面のファサードも美しい。
「ロレト通り」(Calle Loreto)
現在のサンタ・カタリナ修道院は、かつての「アクリャ・ワシ(太陽の乙女の館)」跡にある。その裏手にあるのが全長200メートルほどの石畳の細い路地、ロレト通りだ。インカ時代にはインティ・ケシュ(太陽に向かう道)と呼ばれていて、その先には太陽の宮殿コリカンチャが聳え立っていたそうだ。
「サント・ドミインゴ教会・修道院」(Temple y Convento de Santo Domingo)
この場所にはインカ帝国時代の宮殿コリカンチャ(太陽の宮殿)があった。サンドドミンゴ教会は1650年と1950年の地震でほぼ全壊し再建されたがその土台となっているインカ時代のコリカンチャの下壁はびくともしなかった。
コリカンチャの内部は金箔で覆われ、黄金の像なども置かれていたそうで、スペイン人が植民地化した際に全て持ち去られ、現在は石組みの壁が残るのみとなっている。
「宗教美術博物館」「12角の石」(Palacio Arzobispal y Piedra de los Doce Angulos)
スペイン植民地時代、アラブ様式の影響を受けた建物。大主教宮殿は現在は宗教美術博物館となってる。
その外壁に埋め込まれている石組みの1つがインカの精巧な建築技術を代表する12角形の石。カミソリの刃1枚も通さない精巧な造りが驚きで、まるでパテと粘土で作ったようなしなやかな丸みをも帯びた組合せ方は、芸術的でさえある。
かつてのインカ帝国の首都として繁栄した世界遺産クスコ現在でも至るところにその面影が残り、その神秘的な魅力は世界中の観光客をひきつけて止まない。
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