旅のエスプリ Vol. 28 |
2014年2月全米公開されたハリウッド映画「ポンペイ」が、大ヒットを記録したのは記憶に新しいところです。過去にも3度、「ポンペイ最後の日」というタイトルで映画化されています。
なぜ「最後の日」なのか? それは、西暦79年8月14日に、ローマの植民都市だったポンペイは近隣のヴェスヴィオ火山の噴火により、6メートル以上もの火山灰の下に埋没してしまったからです。一連の映画では、文字通り、噴火直前の最後の日を描いています。
現在は世界遺産に登録され、ローマからナポリ経由の日帰りツアーの行き先としても人気のポンペイですが、街が掘り起こされるきっかけとなったのは18世紀半ばにスペイン王家がナポリに勢力を伸ばしたことでした。
スペイン王カルロ3世は宮殿を飾り立てる装飾品として、遺跡から絵画や彫像を持ち去ることを目的に、ポンペイの発掘を思い立ったと言われています。古代都市ポンペイは、海に沈んだとされるアトランティス大陸のような都市伝説ではなく、ルネッサンス期の文献にもポンペイを指摘する歴史資料が多かったこともあり、実在の街として人々に認識されていたのです。
実際に掘り起こされたポンペイの遺跡からは、大劇場や公共広場、道路とその周辺の商店や住居群と共に夥しい数の壁画も発見されました。絵画に使用された赤い色彩は「ポンペイレッド」と呼ばれています。その色彩を失わなかった理由は、街を飲み込んだ火砕流堆積物に含まれる、乾燥剤の作用をもつ成分が、壁画の劣化を食い止めたからなのだそうです。
また、街を飲み込んだ火砕流の速度は時速100km。火砕流から逃げ遅れただけではなく、噴火で発生した火山性ガスによる中毒が原因で、街に残っていた2千人の人々の命が一瞬のうちに奪われました。その最期の姿は現在、空洞化した遺体に流し込まれた「石膏鋳型法」により復元されています。
苦しみの表情をたたえている人、また子どもを守るように覆いかぶさる大人など、石膏によって復元された遺体が、当時の大惨事と人々を突然襲った苦しみを物語っています。
発掘されたポンペイの街は、現在は内陸に位置していますが、噴火当時までは、港に面した港湾都市でした。噴火活動によって地面が隆起したため、位置的に内陸に押し込められたのです。当時、ポンペイの港には毎日、各地からの船が到着し、荷揚げされていました。荷物はすぐ近くのアッピア街道からローマへと運ばれました「すべての道はローマへと続いて」いたのです。
街には2万人のポンペイの人口と同じだけの人数を収容する闘技場がありました。大劇場に隣接した中型劇場、また公共広場に公共浴場、商店も人々の娯楽生活に欠かせない居酒屋までがあり、非常に充実した市民生活を送っていたことが遺跡によって証明されています。
何より、ポンペイの人々の生活ぶりを今に伝えてくれているのは、建築物の壁に残された落書きです。現代の選挙ポスターのような役目を果たしていた公的なメッセージもある一方で、庶民の肉声とも言えるような落書きも数多く存在しています。たとえば、自分が贔屓にしている拳闘士への応援のメッセージを書き込んだもの、恋敵への呪いの言葉、果ては酒屋の店主に対して「水を酒だと偽って売っている」といったクレームに相当するようなものまで、その内容は実に多岐に渡っています。
これらの落書きは当然ラテン語で書かれていますが、書き方によって、その書き手の身分がわかるそうです。それでもかなり低い身分の人でも落書きを残していたことから、ローマ帝国の民の識字率は驚異的な高さであったと言われています。
身分と言えば、身分の高い富裕層はドムスと言われる広大な平屋の一戸建てに住み、身分の低い者たちはインスラと呼ばれるアパートに住んでいました。ただし、ポンペイの高層建築の技術はあまり進んでいなかったようで、最高でも3階までの高さのインスラしか残されていません。劇場の席も身分の違いによって厳格に分かれていました。
ただし、興味深いのは、排泄物の化石を分析したところ、身分の高い人も低い人も当時は同じ物を食べていたことがわかっていることです。住居や劇場の席は違っても、食生活にはそれほど差はなかったようです。
当時のポンペイの人々にとって最も重要な食物はパン。そして良く飲まれたのが葡萄酒でした。パン屋は何軒も発掘されており、パンの化石はポンペイ関連の博物館にも展示されています。化石からは、ちょうどケーキを8等分するような形のパンだったことがわかります。その形のパンは現代のイタリアでもいまだに食べられています。葡萄酒は居酒屋では1杯1アスで売られていました。1ドルくらいの値段です。
さて、ポンペイ市民の残した落書きが今の何に相当するかを考えてみました。それはまさに「インターネット」ではないでしょうか。自分の意見を表明するのに、一般に向けて呼びかける行為は、現代人が自由に行っている「ネットへの書き込み」です。そのように自由で快楽的な生活を送っていた古代ローマ人のメッセージを確認するために、イタリアへ行く際には是非、ポンペイへ立ち寄ってみてください。
【参考文献】
「優雅でみだらなポンペイ」
本村凌二著 講談社刊
【関連ツアー】
・ローマ発 ナポリ・ポンペイ1日観光
・南イタリア周遊紀行7日間 ~南イタリアとシチリアの世界遺産を訪ねて~
・ナポリ発 世界遺産アマルフィ海岸とナポリ 4日間
・ローマ発イタリアの赤い新幹線イタロと専用車で行くアマルフィ海岸・カプリ島
・ローマ発イタリアの赤い新幹線イタロで行く アマルフィ海岸日帰りツアー
・ナポリ発 アマルフィ海岸1日観光
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