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希代の策士・マッカーサーとミズーリ号艦上の降伏文書調印式 大胆不敵なイメージと反対のマイクロマネージメント

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」 ニューヨーク

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 11

希代の策士・マッカーサーと降伏調印式
大胆不敵なイメージと反対のマイクロマネージメント
今、この原稿を書いているのは8月の後半、終戦記念日が終わった頃です。日本の終戦と切っても切れない人物、しかも、現在、彼を主人公にしたハリウッド映画が公開中とあって普段よりも注目を浴びている人がいます。その人の名前はダグラス・マッカーサー。連合国軍最高司令官です。

マッカーサーと昭和天皇マッカーサーというと、個人的には昭和天皇と映った彼の写真が真っ先に思い浮かびます。天皇陛下と横並びでしかも横柄なポーズを取った連合国司令官の姿は、日本の国民に「敗戦」を印象付けました。マッカーサーは、この写真を配信することで連合国側の権威を強調したと言われています。新聞社各社は「あまりにも不敬である」との理由で、いったんは掲載を却下しましたが、マッカーサーの命令により、撮影から2日後にこの写真は各紙に掲載されたのです。

このように、マッカーサーは非常に細かいところまで指示するコントローラータイプ(いわゆるマイクロマネジメント)だったという説が有力です。サングラスをかけ、パイプをくわえた大胆不敵なイメージを与える一方で、1945年9月2日に東京湾上の戦艦ミズーリでの降伏文書の調印式では、開始前に緊張のあまり何度も嘔吐を繰り返していたという証言もあります。大胆さと繊細さ、そのバランスで戦後の日本をコントロールしていた「希代の策士」だと言えるかもしれません。

日本を威圧するための緻密な演出
さて、その戦艦ミズーリでの調印式にまつわる裏話をご紹介しましょう。まず、ミズーリが停泊していた場所は、遡ること90年前にマシュー・ペリーが黒船ポーハタン号を停泊させた位置とほぼ同じでした。米国は日本を開国に導いただけでなく、戦争にも勝利したということを90年越しに強調したのです。

しかも、甲板にはためいていた二つの星条旗、一つは、ポーハタン号に掲げられていたもの、もう一つは真珠湾攻撃の際にホワイトハウスにあったものを持ち込んで飾ったのです。調印のために準備されたペンもペリーが使用していたものと同じタイプのものでした(ただし、日本側の代表者、重光葵大臣は降伏文書にアメリカのペンは使いたくないと秘書官のペンを借用して持ち込んだ)。これらすべて調印式の陣頭指揮を執ったマッカーサーのアイデアによるものでした。
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さらに、朝の9時に式典を開始させたかったマッカーサーは、片足が義足だった重光大臣の移動時間を計るために、アメリカの兵士に箒の義足を付けさせて何度もリハーサルを行いました。そして、小柄だった日本側の代表者たちを威圧するため、甲板の最前列には180センチ以上の体格のいい米国側の兵士を整列させたそうです。

こうして、式典は2分遅れの9時2分に始まり、23分間に及ぶ模様は全世界に放送されました。中でも予定になかった冒頭のマッカーサー自身によるスピーチは、重光大臣に随行した外交官の加瀬俊一を感動させるものでした。加瀬は、後の著書の中で「自由と寛容と正義の精神に溢れた演説」だったと書いています。

敗戦国側を感動させたマッカーサーの演説のメッセージは次の箇所に集約されています。

「全地球上民衆の大部分を代表するわれわれは、相互不信、悪意或いは憎悪の精神をもってここに集まったのでもなく、むしろ戦勝国もまた敗戦国もともに、われわれが関与せんとしている神聖なる目的に添い得るただ一つのより高き威厳に向かって立ち到ることこそ、われわれの意図するところである」(1945年9月3日毎日新聞より引用)
[左]スピーチの文章/[右]予定になかったスピーチをするマッカーサー
ハワイで必見、戦艦ミズーリ号
ミズーリ号艦上で交わされた降伏文書のレプリカは艦上に展示されている他、東海岸のウエストポイント陸軍士官学校の博物館でも見ることができます。マンハッタンから2時間ほどで行ける、この博物館には降伏文書以外にも必見の展示物が・・・その一つは、山下陸軍大将の軍刀。そしてもう一つは、広島に落とされた原子爆弾ファットマンの原寸大模型です。そのあまりにも小振りな原子爆弾を目にすることで、多くの人の命を一瞬のうちに奪い去った「核の威力」が実感できます。
[左]山下陸軍大将の軍刀/[右]原子爆弾ファットマンの原寸大模型
降伏文書の本物2通のうちの1通はワシントンDCの国立公文書館に、もう1通は日本の外務省外交資料館に保管されています。

そして、ウエストポイントから遠く離れたハワイのパールハーバーでは、調印式の会場となったミズーリ号が、一般に公開されています。ミズーリ号は太平洋戦争に始まり、朝鮮戦争、さらには湾岸戦争と半世紀にわたり、現役で活躍していた戦艦です。艦内を見学した際に是非確認してほしいのが、日本の特攻隊員、石野節雄二等兵曹の写真です。

石野隊員は、1945年4月11日、鹿児島県の特攻隊基地を出発後、ミズーリ号の右舷看板に突入し、亡くなりました。ウィリアム・キャラハン艦長は、自分の命と引き換えに任務を全うした敵国の隊員を悼み、翌日、海軍伝統の水葬を執り行いました。二つに裂かれた石野隊員の身体を覆った旭日旗は、米兵3名が艦長の命により徹夜で繕ったものだということです。敵兵に対して最大限の敬意が表されたのです。ミズーリ号で水葬が行われたのはこの時が最初で最後でした。そして石野隊員の名前が判明したのは戦後かなり経過してからのことだったそうです。 ちなみに百田尚樹さんのベストセラー小説「永遠のゼロ」の最後の感動のエピソードは、この石野隊員の最期を彷彿とさせる展開になっています。
[左]石野節雄二等兵曹の写真/[右]遺体を覆った旭日旗と水葬の様子
日本の終戦は今から68年前の遠い過去の出来事です。しかし、それは忘れ去ってよい昔話ではありません。是非、一度,ウエストポイントの博物館で降伏文書や原子爆弾のレプリカを見て、さらにハワイでは終戦の証人、ミズーリ号を訪ねてください。ミズーリ号では調印式にまつわる数々のエピソードが聞ける日本語の無料ガイドも提供されていますので、お薦めです。

【参照サイト】
ウエストポイント陸軍士官学校
United States Military Academy
www.westpoint.edu

戦艦ミズーリ号記念館
Battleship Missouri Memorial
www.ussmissouri.com

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関 克久