アスワンから砂漠の中を走ること3時間半、そんなへんぴなところにアブシンベル神殿があります。ツアーの集合はなんと夜中の3時半。日中はとてつもなく暑いので、アブシンベルに行くときは早朝について、アスワンに12時ごろに戻ると言うのが一般のスケジュールだそうです。
砂漠の中のドライブは規則で運転手は一人ではいけないそうで、必ず2人ドライバーがいます。しかも座席に余裕があるときは警察官が同乗します。私達の車にも乗ってきましたが、この警察官は乗ったとたんに居眠りして、帰りもずっと寝てました。やっと着いて、見てびっくり。入り口のラムセル2世の像の大きさにもびっくりするが、中もものすごいです。中はカメラ禁止であるため、残念ながら写真はないです。誰に見られたくてこんなところにこんな巨大なものを作ったんだろう。
彼は神になりたかったため、神殿内のレリーフにはカデシュでの戦いで、弓を引いて勇敢に戦っている場面がいっぱいあり、アモン神が彼にオーバーシャドウしているレリーフもありました。つまり手と足とかが、ぶれたように2重になっていて、彼にはアモン神が彼に乗り移り、あたかも神通力が備わっていたと言う表現がされていて、そういう表現方法が実に興味深い。彼は身長184センチの長身で力もあり、彼しか引けない弓とかあったそうです。
入り口の4体すべてがラムセス2世の像というのも、すごい発想だと思ってしまいます。全部同じに見えるけど、幼少、青年、中年と4つの年代の像らしいです。かなりのイケメンのファラオだったのではないかなとこの像をみて思いますが、実際には彼のミイラを見るとかなりのわし鼻で、めちゃくちゃ注文つけてこんなにイケメンにしたのでしょう。
この像のように、ひげがまっすぐのものはファラオが生きているときに作られたと言う意味があるそうです。ツタンカーメンの黄金のマスクのように、ひげが曲がっているものは死後に作られたと言う意味だそうで。注文つけないのにあのイケメンマスクです。まるで目立ちたがり屋のロックスターのように、こんなにあちこちに自分の像を作ったラムセスちゃんは、その当時にユーチューブがあったならどんな事になっていたか。きっと狂ってましたよ。
至聖所にアモン・ラー神、ラー・ホルアクティ、プタハ神、神格化されたラムセス2世の4体の像があり、年に2回上る太陽が狭い入り口から差し込んで、プタハ神(夜の神)以外を太陽光線が順番に照らすようになっているらしいですが、今の場所に移動してからは年に1回のみになったとの事です。ラムセス2世は妻が34人以上いたそうで、下の写真はその中でも一番寵愛したネフェルタニのために建てた神殿です。
王妃の神殿の入り口にもちゃっかり自分の像を置いてるラムセス君。ルクソール編にも書きましたが、エジプトの女性で神殿があるのはハトシェプストと2人のみで、ハトシェプストはファラオとして、王妃として神殿があるのはネフェルタリだけです。中のレリーフには戦争に明け暮れるラムセス2世に戦争をやめさせようとしているものがあります。
ところでこの時代の女性の服装ってどんなだったんでしょう。レリーフの女性のスカートは透け透けで、足がひざから見えてます。中は未完で、壁に下書きの絵が描かれて描かれているけれど、彫られてないものが数箇所ありました。中のレリーフもかなり雑なつくりでした。ラムセス2世は芸術性よりも数多くの作品を好んだらしいので(つまり質より量)、そこまで時間をかけなかったのかも知れません。
アブシンベル神殿はアスワンハイダム建築で水没の憂き目に会いかけましたが、ユネスコの世界キャンペーンにより、元の位置より60メートル上の今の場所に移されました。実際には写真のの少し下に神殿があったそうです。
砂漠の中をまたまた3時間半走ってアスワンまで戻りました。アスワンでのきりかけのオベリスクに行きました。写真はきりかけのオベリスクで、この未完のオベリスクのおかげで、どのようにしてオベリスクが作られたかがわかるそうです。
岩にひびをいれ、木のくさびを入れて水をかけると、木が水で膨張して、石を割っていたという学者もいれば、石にひびを入れてから熱して、水をかけて石を割ったという学者もいるそうです。このきりかけのオベリスクはハトシェプストの為に作られルはずだったそうです。そして、ナイル川からテーベ(ルクソール)まで運んでいたそうですが、こんなに重いものをその当時の船で??ととっても疑問です。
フィエラ島のイシス神殿まではボートで行きます。
イシス神殿はローマ時代に立てられました。フィエラという名前はラテン語で愛の語源から名づけられました。イシス神はオシリス神との愛の物語があります。セトはオシリスを棺おけに入れてふたをして殺してしまいました。そして、遺体をばらばらにして、島々に分けて捨ててしまいました。
イシスはワニの神に頼んで、左足以外は全部探し当て、オシリスは生き返りました。だから彼は一本足だそうです。左足はレバノンまで流れていってしまったそうです。イシスはそれでかろうじてオシリスの子供を身ごもり、ホルスが生まれたそうです。このイシスが聖母像の原型となったそうです。
神殿の柱もそれぞれハスの花、パピルスの花など違うモチーフが使われています。
このレリーフには豚をささげているのが描かれていて、この頃ローマ人が豚を持ってきたそうです。
フィエラでのオシリス崇拝は527年のユスティニアヌス帝のころまでは持ちこたえましたが、ついにローマ軍に上陸され、古代エジプトの信仰は終わってしまいました。
イシス神殿もアスワンハイダムの建設のときに水没の危機にあいましたが、全部今の場所に移されたそうです。なので、岩のブロックすべてに番号がついた丸いディスクのようなものが埋め込まれてあります。この番号札で組み立てたそうです。イシス神殿は機械を使って分解・組立したそうですが、アブシンベルは人間がやったそうです。
写真はアスワンのスークです。ルクソールの町は観光客にたかって来て、馬車に乗れ、タクシーにのれ、食事はどうかとか、町を案内しようかとか、もうストーカー集団かとおもいますが、アスワンはもっとリラックスしていて、スークに行ってもエジプト人がたかって来ることはありませんでした。スークでマンゴを買ってホテルで食べたけど、めちゃうまでした。
アスワンからカイロまで私たちは寝台車で行きました。電車は2人ずつ個室になっていて、洗面所が個室についてます。でも列車はめちゃ古いです。
これが朝食ですが、思いっきり炭水化物。
寝台車って揺れるので、ゆりかご効果があって、ぐっすり寝ることができました。だれでもアブシンベル行って帰ってくるとげっそりします。だからぐっすり寝れたのかも。写真はもう3分でカイロの駅という所での踏み切り。
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