子供のころから不思議なものが大好きだった私が、ずーっとあこがれだったピラミッドを見た時は胸が熱くなりました。クフ王のピラミッドの中に入った時は感激で涙が出ました。今回のエジプト旅行で一番良かったものはやはりピラミッドを見たことと、クフ王のピラミッドの中に入った事です。まず大きさに圧倒されました。そして、ピラミッドの傾斜の角度である51度20分でできた建造物ってなんと美しい形なんだろうと思いました。
そんな私はいろいろなピラミッドの説を読みましたが、ギザのピラミッドは王の墓と言うエジプト学者の説はまったく納得がいきません。最初にクフ王の墓と言い出したのはギリシャのヘロドトスですけが、クフ王の墓の内部に、クフと言う文字を発見した英国人ハワード・バイスが決定的にしました。彼が発見直前にペンキを持って中に入ったと言う事実を、助手の人がメモに残し、なくなる前に孫に託したそうです。孫はそれを発表しましたが、時遅しでクフ王の墓と言う事がもうエジプト学者の間では動かせない事実となっています。その他にも、宇宙人が作ったとか、アトランティス人が作ったとかいろいろ言われていますが、一番私が納得できた、神々の指紋のグラハムハンコックにここに登場してもらいます。
彼によると、
①ピラミッドの底辺の周辺の長さは地球の北半球の長さの43200分の1である。
②底辺の周囲の長さと高さの比率は2πであり、その誤差は0に近く、現在の建築技術を用いても不可能である。
③ギザの3つの大ピラミッドとナイル川の位置関係は天の川とオリオン座の3つの星とまったく同じ位置関係である。
④3つの大ピラミッドの大きさの比率はオリオン座の3つの星の光度の比率と同一である。
⑤3つの大ピラミッドは紀元前1万450年頃に建設された。
今はアスワンハイダムによりナイル川の流れは変わってしまったけれど、昔のナイル川を天の川に見立ててた場合にオリオン座がギザのピラミッドとまったく同じ位置関係になるのは紀元前1万450年頃だそうです。そしてその時はしし座の時代だった。(今は水がめ座の時代です)。だからスフィンクスはライオンの姿でなくてはならなかった。と言ってます。
スフィンクスの顔を隠して地質学者にこれは何による侵食ですかと聞くと、必ず水による侵食だと答えるそうです。そして、スフィンクスの顔を出すと、みんなびっくりするそうです。エジプトに洪水の記録があるのが、1万年以上前しかないからです。
科学者なら誤差をゼロにしたい気持ちは分かるけど、力と権力を誇示したいファラオがここまで正確さにこだわるかとの疑問はもちろん、ギリシャ時代に始めてπが発見されるよりもかなり前のファラオの時代にπを使った建築物を作るだろうかと言う彼の疑問はまったくもっともだと思えます。彼がたどり着いたところは一万年以上の昔に今よりも高度な科学技術を持った文明があり、現在でも不可能な建築物を人間が高度な科学技術を持って始めて理解できる“数学”と言う普遍の法則を使って、人間の言語が変わっても理解できるように作られたと言うことでした。
そして北半球の長さの43200分の1のと言う数字、43200とは偶然の数字ではなく地球の歳差運動を示す数字であると言う事です。これが未来の人類へのメッセージだったと彼は言います。ピラミッドを作って地球の歳差運動のメッセージを伝えたかったのはなぜか、それは歳差運動によるポールシフトを伝えたかったのではないかと言ってます。実際地球が出来てから何回もポールシフトは起きてます。その原因の一つとしてあげられているのが歳差運動です。ポールシフトによる被害か、大洪水による被害のために、高度な科学を持った人類が石器時代から始めなくてはならなかったと。
ここでもう一人20世紀最大の預言者といわれたエドガー・ケイシーにも登場してもらいます。彼によるとピラミッドが立てられたのは紀元前1万490年で建設には100年かかったという事でかなりグラハムさんと近い。どのようにして作られたかと言う質問には鉄をも泳がす統一磁場エネネルギーで作られたと言ってます。ニュートリノ、反物質と言う理論になってくるので私には理解は出来ませんが、つまり奴隷が積み上げたのではないと言う事です。そして、何のためにと言う質問には、今後おき得る大災害の際に記録を保管する必要があったためと答えています。そして設計した人はラータと言う神官で後にラーと呼ばれ、そして、それを実際に建設したのがトト・ヘルメスと言う人だそうです。エジプトの神々で太陽神ラーとトトという神は確かにいます。
クフ王のピラミッドの中の王の間は黄金率を使った長方形だそうです。その他の女王の間ともうひとつ地下の間は立ち入り禁止になっていました。王の間にはいるとクラクラしてきます。気持ちのいいクラクラ感です。私だけかと思って他の人に聞いても同じ事を言います。
現地ツアーガイドの人は、エジプト学の権威であるザヒ・ハワスと一緒に仕事をいていた人で、ピラミッドの中は磁場か何かのフィールドがあり、物が腐らないとか言われていますが、彼が言うには本当にそうだそうです。願い事がかなうからお願いしたほうが良いよと言われて、世界平和をお願いしました。別のお願いもちゃっかりしましたが、そっちはかなったらまたブログに書きます。ピラミッドまで行く人は朝早く行ってクフ王の中に入る事は絶対にお勧めです。願い事がかないます。
次にダフシュールの屈折ピラミッドと赤のピラミッドにいってきましまた。ダフシュールの町も観光客で潤っているのかなと思いきや、結構貧しくてびっくりしました。
なぜ赤のピラミッドと言うかと言うと、土が赤土だから赤く見えるためだそうです。赤のピラミッドは見た目ギザのピラミッドと似てますが、角度がもっと緩やかだそうです。
赤のピラミッドの中はこうなってます。
屈折ピラミッドは立ち入り禁止となっています。なぜ屈折しているかはいろんな説がありますが、もっと高いピラミッドを作る予定だったが、王が急死したため、工事を急いだなどです。ガイドの人はエジプト人ですが、日本語べらべらで、中山エミリーの特番で一緒に屈折ピラミッドの中に入った事があるそうです。それ以来日本人の観光客からはテレビに出てたでしょと言われるそうです。
サッカーラーの階段ピラミッドの入り口です。
入り口を入ると神殿になっています。
今は立ち入り禁止になっているが、すぐ近くにウナス王のピラミッドがあり、内部にピラミッドテキストと呼ばれるヒエログリフ文書があるが、グラハムハンコックによると、その内容はクフ王より前にすでにピラミッドとスフィンクスはあったと言う内容が書かれているそうです。サッカーラを出て近くにあるレストランに入りましたが、めちゃおいしかった。2人で26ドルでチップ入れて30ドルでした。参考までに名前と住所はSakkara Restaurant From Al Mariotia Roed 14. K.M. (Roadの間違いかも)
この後にメンフィスに行きました。ラムセス2世の巨像があるところです。イヤーこの日はエジプトの初日だったので、後でいやと言うほどラムセス2世を見ることになるとは思ってもいなかったので、写真取り捲りましたが、エジプトじゅうラムセスだらけです。でも丹精なイケメン顔に出来てますね。
メンフィスのスフィンクスです。ギザのスフィンクスもこんな感じだったのかな。絶対にギザのまねで作ったと思います。ちなみにギザのスフィンクスのひげと鼻は爆風で飛んだのではなくて、英兵がとって、英国にあるみたいです。
エジプトから帰ってきて、もう一度行きたいと思いました。いろいろ旅行をしたけれど、一回で十分で、もう一度行きたいと思うところはあまりなかったですが。とても不思議な所です。エジプト観光は、遺跡の規模、歴史の深さ、ナイル川の景色、全てにおいて絶対に損したとは思わせません。全てにおいてすばらしかったです。
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