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アメリカ人に愛された日本人金メダリスト“バロン・西” 硫黄島で投降を呼びかけられるも戦死

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」 ロサンゼルス

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 15

アメリカ人に愛された日本人金メダリスト“バロン”

これまで当コラムでは、音吉やジョン万次郎、またアメリカ人女性からアイドル的な人気を集めたトミーこと斧次郎など、国際人としての日本人パイオニアをご紹介してきました。今回の主人公であるバロン西も、1930年代に西洋社会にその名を轟かせた日本人。しかも彼はロサンゼルス・オリンピックにおいて、馬術障害飛越競技で金メダルを獲得したアスリートでもあるのです。
1932年のオリンピック会場だったロサンゼルス・メモリアル・コロシアム1932年にバロン西が金メダルを獲得してから、その後、馬術競技でメダルを取得した日本人選手はいまだかつて登場していません。つまり彼は日本人の馬術競技選手として唯一無二の存在なのです。

ハリウッドスターとも親友付き合い

バロン西、本名は西竹一。1902年、東京の華族である西家の三男として生まれました。バロンとは男爵の意味。長男と次男が幼くして死去したため、男爵の爵位を受けた竹一は、正真正銘のバロンだったのです。そして、華族の嗜みとして幼少時から馬術を身につけていた彼は、入隊後、軍隊の花形である騎兵として活躍します。また、同時にロサンゼルス・オリンピックを視野に入れ、開催2年前に、アメリカ経由でヨーロッパまで、競技のパートナーとなる愛馬を探しに出かけました。

ヨーロッパへと向かう大西洋航路の船上で出会ったのが、ハリウッドの大スター、ダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻でした。当時の日本人男性としては175センチと高身長で、また英語も堪能だったバロン西は、物怖じすることなく大スターとの交流を深めたと言われています。後に夫妻が日本を訪れた際、麻布の西宅で撮影された着物姿のメアリー・ピックフォードの写真も残されています。

さて、愛馬探しに訪れたイタリアで、バロンはオリンピックを共に闘うことになるウラヌスと出会います。堂々たる体躯のウラヌスを一目見た途端に惚れ込み、即座に自費で購入したそうです。

そして1932年のロサンゼルス・オリンピックの出場選手としてウラヌスと共にアメリカ入りしたバロンですが、まずは名門ゴルフコースのリヴィエラ・カントリークラブのポログラウンドで練習を開始。ところが練習は午前中だけで、午後になると親友であるフェアバンクスらと連れ立って、連日パーティーを楽しんでいたとか。

[上]名門リヴィエラ・カントリー・クラブ/[下]リヴィエラ・カントリー・クラブ所有のバロン西の写真 (c) The Riviera Country Club Historic Archive

しかも遊び過ぎが競技に影響することもなく、オリンピック本番で金メダルに輝いただけでなく、インタビューでは得意の英語で「We won(我々は勝った)」と答えたことで人々の耳目を集めます。こうして、華麗な競技で魅了しただけでなく、それは自分1人の手柄ではなく愛馬との共同作業によるものだと宣言したことに全米の人々が感動、熱狂したのです。この瞬間、「バロン西」の名声は揺るぎないものとなりました。

硫黄島で投降を呼びかけられるも戦死

その後、第二次世界大戦に突入、バロンは陸軍中佐として、あの有名な激戦地、硫黄島に赴きます。思い出のロス五輪で手にしていた愛用の鞭、そしてエルメス製のオーダーメイドの乗馬長靴姿のバロン西は、戦場でもダンディな姿を崩すことはなかったようです。

しかし、やがて硫黄島の日米軍の戦いは熾烈を極めていきました。アメリカ軍は西中佐の命を惜しんで「馬術のバロン西、出てきなさい。世界は君を失うにはあまりにも惜しい」と投降を呼びかけます。もちろん、バロンはその呼びかけに応じることはなく、硫黄島の地で戦死することになります。享年42歳でした(戦死により陸軍大佐に特進)。

硫黄島の戦いにおけるバロン西は、クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」にも登場します。伊原剛志さん演じる西中佐が、米軍兵士を尋問した後に手厚く介護する紳士的なシーンが印象的でした。

さて、ロサンゼルス市の名誉市民の称号も受けたバロン西の足跡は、市内のさまざまな場所で今も目にすることができます。1932年のオリンピック会場だった南カリフォルニア大学に近い競技場、コロシアムの入り口に並ぶプレートには「Takeichi Nishi, Japan」の名前が残されています。また、ダウンタウンにある創立百年の名門スポーツクラブ、ロサンゼルス・アスレチック・クラブのオリンピックルームの正面には、ウラヌスを駆ってオープンカーを飛び越えるバロンを捉えた写真が永久展示されています。そして、彼が競技の練習を重ねたリヴィエラ・カントリークラブ内でもウラヌスとバロンの勇姿の写真が飾られています。

[左]ロサンゼルス・アスレチック・クラブ/[右上]ロサンゼルス・アスレチック・クラブのロサンゼルス・ルームにあるバロン西の写真/[右下]リヴィエラ・カントリー・クラブで愛馬ウラヌス号と練習に励むバロン西

今から80年以上前、その開放的でおおらかな人間性、華麗な馬術でアメリカ人の心をつかんだバロン西、時を超えても私たちを誇らしい気持ちにさせてくれる英雄と言えるでしょう。機会があれば、ロサンゼルス随所にある彼の名残の跡を訪ねてみてはいかがでしょうか。

1250 Capri Drive, Pacific Palisades, California 90272

The Riviera Country Club
1250 Capri Drive, Pacific Palisades, California 90272
www.therivieracountryclub.com

431 W 7th St  Los Angeles, CA 90014

Los Angeles Athletic Club
431 W 7th St  Los Angeles, CA 90014
www.laac.com

3911 S Figueroa St, Los Angeles, CA 90037

Los Angeles Memorial Coliseum
3911 S Figueroa St, Los Angeles, CA 90037
www.lacoliseumlive.com

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関 克久