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911の標的、WTCは日系人がつくった? 人種差別と闘いながら夢叶えた建築家

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」 ニューヨーク

目からウロコのトラベル・コラム「旅のエスプリ」

旅のエスプリ Vol. 17

911の標的、WTCは日系人がつくった?

かつてニューヨークのランドマークだった、世界貿易センタービル(WTC)は、2001年9月11日、同時多発テロによって跡形もなく倒壊してしまいました。あの事件がきっかけとなり、「どうしてビルは飛行機の衝突だけで倒壊したのか?」「設計上のミスはなかったのか?」との議論が噴出したために、長らく忘れ去られていたWTCの建築家の名前がマスコミに再び登場しました。その人の名前はミノル・ヤマサキ。シアトル生まれの日系二世でした。
完成直後のワールドトレードセンター
人種差別と闘いながら夢叶える
ヤマサキは1912年、シアトルのスラム街で、富山から移民してきた父、常次郎と母、ハナの間に生まれました。建築家を志すようになったのは、カリフォルニア大学バークレー校の建築学科に学んでいた母の弟、伊東公顕に影響を受けたからだと言われています。

大学を卒業した後に叔父が「姉さん、僕はこのようなことを学んでいたんだよ」と言って建築図面を見せた場面にヤマサキも同席していたのです。彼は自著の中で「あの時、興奮のあまり、体が震えました」と、強烈なショックを受けたと綴っています。

建築家を夢見て、ワシントン大学を優秀な成績で卒業したヤマサキでしたが、戦前のアメリカは人種差別が色濃く残る社会でした。自分より成績が下位の白人の同級生たちが次々に建築会社に就職していく中、ヤマサキは人種差別が西海岸よりも少ないと言われていた東海岸で働くことを決断、ニューヨークへと向かいます。しかし、それでも建築会社への就職は叶わず、最初につかんだ仕事は、ノリタケの陶器を日本から輸入する会社での梱包係でした。

採用理由はアウトサイダーだったから?

[上]ワールドトレードセンターの外壁/[下]追悼の光(Tribute in Light)やがて念願の設計事務所への転職を果たし、ピアニストで沖縄出身の照子と結婚、戦争中もニューヨーク在住だったために収容所行きは免れました。さらに大手の建築事務所への移籍を目的にデトロイトに移住し、セントルイス空港などの大型プロジェクトを手がけて、建築界に名前が知られるようになるのです。

転機は1962年に訪れました。マンハッタン港湾地区の再開発を手がけていたニューヨーク港湾局の副局長、サリヴァンからの手紙が、独立したヤマサキの事務所に送られてきたのです。手紙には「WTCプロジェクトの予算、2億8千万ドル」と書かれていました。それまでのヤマサキの事務所は、最高でも1900万ドルの予算のプロジェクトしか扱っていませんでした。「2億8千万ドル? 桁を一つ間違えているのか?」と不審に思ったヤマサキはその手紙を無視してしまったのです。

ところが会議の席上で、その手紙のことに触れたヤマサキに対して、ある部下が「差出人に金額が合っているかどうか確認してみてはどうか」と提案したのです。ヤマサキが早速、NY港湾局に電話して聞くと「タイプミスではなく、本当に2億8千万ドルのプロジェクトだ」と断言されたのでした。俄然やる気が出たヤマサキでしたが、企画責任者のトゾーリに、「プロジェクトが終わるまで生きていることが、採用される条件だ」と言われてぞっとしたそうです。つまり、それだけ長期間にわたる巨大プロジェクトであり、大規模な建築物を完成させることが目標だったからです。

ヤマサキに声がかかったのは、彼がアウトサイダーだったからという説が有力です。当初、港湾局がプロジェクトを任せようとしていた3名の著名な建築家は互いにエゴ丸出しで妥協点を見い出ませんでした。そこで、港湾局側としては、過去にWTCほどのプロジェクトに携わったことのない、ある意味、「謙虚な建築家」を探し求めていたのです。何とか最終候補に残れはしましたが、競争相手に打ち勝つために、彼はニューヨークに飛び、港湾局近くに泊まり込んで毎朝、局員を待ち伏せして「我が事務所に決めてください」と自ら営業をかけ続けたそうです。地道な努力が功を奏したのか、1962年9月21日、WTCの建築家としてヤマサキが正式に決定します。しかし、そこから彼と港湾局との闘いも始まったのです。

ヤマサキは当初、80階建てのビルを構想していました。しかし、トゾーリは「ケネディ大統領が月に人を送る時代だ。君は世界最大のビルをつくらなければならない」とハッパをかけるのです。港湾局にプッシュされる形で、ツインタワーは90階、100階、そして110階にまで高層化していきました。一方、ヤマサキが妥協しなかったのは、ビルのロビーに使用するピュアホワイトの大理石でした。トゾーリは北イタリアの採掘場で、ヤマサキの理想の大理石を発見し、それをアメリカまで搬送しました。この採掘場、実はミケランジェロが数百年前にピエタ像を彫った時に使用した大理石が採掘された場所でもありました。

飛行機衝突は想定されていたが…

1966年に建設が始まったWTCは、完成を見る前に数々の批判にさらされることになりました。ある批評家は「失敗作」と断定しました。1972年にノースタワー、73年にサウスタワーが完成した後も、「世界で最も冷たい雰囲気の建物」と酷評されるなど、しばらくは批判がおさまることはありませんでした。しかし、クライスラービルやエンパイヤステートビルも、完成当時には「ニューヨークの景観を壊す」と言われながらも、後年、評価が覆ったように、WTCもやがて、ニューヨークの一部として受け入れられていくのです。

しかし、2001年9月11日、ニューヨークの一部どころか、アメリカのシンボルとも言えるランドマークとして認識されるようになったWTCは、テロの標的となり、その姿を消してしまいます。倒壊原因は、衝突した旅客機が搭載していた燃料によって起こされたビル内部での火災でした。実は、ヤマサキがWTCのプロジェクトに取り組んでいた当時、事務所には巨大なWTCの模型が置かれ、上部には頭部が切り取られた飛行機の模型が突き刺さっていたのだそうです。当然、110階の高層建築物として、飛行機事故も想定されていましたが、想定外だったのは今よりも小型の旅客機ボーイング707を基にシミュレーションされていたことでした。

ヤマサキは倒壊を目撃することなく、1986年にがんでこの世を去りました。部下には「WTCのサポートは生涯、頼んだよ」という言葉を残し…。「自分の作品には責任を持つ」という、日本の職人気質が、彼にその言葉を言わせたのかもしれません。

WTCの跡地には、現在ワンワールドトレードセンターが建設中です。完成は2014年初旬が予定されています。ニューヨークを訪れる機会があれば、新しいワンワールドトレードセンターを訪ね、以前その場所にあったWTCと、その創造主、人種差別と闘った日系二世の建築家ミノル・ヤマサキに思いを馳せてみてください。

[左]完成間近の1ワールドトレードセンター/[右上]9/11 メモリアルパークのサウスプール。ツインタワーの跡地に作られた同じ大きさの慰霊場プール/[右下]犠牲となった2983名の名前には献花が絶えない
エリス島から1ワールドトレードセンターを望む

 【参考文献】
飯塚真紀子著「9・11の標的をつくった男」講談社

 【参照サイト】
9/11 Memorial
National September 11 Memorial & Museum at the World Trade Center
One Liberty Plaza, 20th Floor New York, NY 10006
www.911memorial.org

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関 克久