今まさに訪日ブーム
100年前の訪日はいかに?
昨年、日本を訪れた外国人の数は2014年の1.5倍、史上最高の1,974万人となりました。アメリカからの訪日客も100万人に迫り、まさに今は訪日ブームです。政府も「明日の日本を支える観光ビジョン構想」として数々の施策を打ち出し、2020年にはなんと今の2倍の4,000万人を目標としています。天文学的な数字のようにも思えますが、それでもイタリアの8割、アメリカの6割、フランスの半分ですから日本の豊富な観光資源の量と質、そしておもてなしのホスピタリティーを考えると、まだまだ伸びしろはあるのだと思います。
さて、JTBがその前身のジャパンツーリストビューローとして設立されたのが1912年(昭和、4年)、その2年後には海外の主要都市にジャパンツーリストビューロー案内所を開設しました。その背景には鉄道院による「外客誘致論」の展開がありました。 ただ、今と違うのはそれが国家の成長戦略の一環ではなく、英米人に日本の真の実情(姿)を知ってもらいたいという切なる願いが開設の目的でした。JTBはそのために日本の伝統文化や歴史を正しく伝えようと、”Japan Tourist Library”全40刊を発行しています。第1巻は”Tea Cult of Japan“、 第2巻はJapanese Noh Plays”、第3巻は”Sakura-Japanese Cherry“といった具合です。今でも通用する内容で、レトロなデザインのイラストが随所に施され大変に味のある本です。
そして1930年代には、旅行雑誌に日本の姿、魅力を紹介する数々の広告を出しています。これまた水彩画による味のあるイラストで、今でも十分に通用するデザインです。その広告に記載された連絡先はというと、JTBはまだ連絡事務所でしたので、Japan Gov’t Railways or Nippon Yusen Kaisha 545 Fifth Ave, N.Y.C. でした。 当時はリンドバーグが1927年に大西洋横断に成功したばかりで旅客機などはありませんから、太平洋を越えるには日本郵船、大阪商船、カナディアン・パシフィック、アメリカ郵船などが運航する蒸気船だったのです。 これらの資料はJTBトーランスオフィスに展示してありますので、お気軽に見にいらして下さい。
今は10時間で太平洋をひとっ飛び
昔は12日間の豪華客船の旅
当時の船旅はというと、日本郵船では北米路線としてサンフランシスコとシアトルに定期航路を開設し、サンフランシスコは大洋丸(1911年、明治44年)、浅間丸(1929年、昭和4年)、秩父丸(1930年、昭和5年)、新田丸(1940年、昭和15年)などが就航していました。 シアトル線は氷川丸(1930年、昭和5年)、三池丸(1941年、昭和16年)などがありました。
1929年にサンフランシスコ線に就航した浅間丸は、当時米欧間で展開されていた貨客船競争の一環として、政府の援助を受けて横浜船渠株式会社(現、三菱重工業横浜製作所)で建造された3隻のうちの1隻でした。 4~5万トン級の欧米の主力船に比べると小型でしたが、横浜からホノルル経由サンフランシスコ間(約9千km)を当時としては驚異的な12日と7時間46分という速さで横断しました。船内装飾は英国クラシック様式で、食堂の内装にはイタリア産の大理石がふんだん用いられ、客室はもちろん、パブリックスペースも、従来の客船に比べて格段に豪華なものとなっていました。ラウンジ、読書室、ギャラリー、喫煙室、理髪室、美容室、写真用暗室のほか、郵便局、銀行(住友銀行)の出張所、デパート(松坂屋)売店、劇場(トーキー映写室)、プール、カードルーム、アスレチックルーム、日本座敷まで完備され、まさに日本の「フラッグシップ」と呼ぶにふさわしいものでした。
ロサンゼルスに寄港した際には、一般公開され、2日間で1万5,000人もの観覧者が押しかけたそうです。 1932年に開催されたロサンゼルスオリンピックの乗馬で金メダルを取った西竹一男爵や、西の親友であったハリウッドスターのダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻、またヘレン・ケラーが来日の際にも乗船しています。その後、太平洋戦争に突入、海軍徴用船、日米間の交換船などに使われ昭和19年11月1日、南シナ海で雷撃を受けて沈没してしまいました。
一方の氷川丸は 、同じく三菱重工業によって建造され、B&W社(デンマーク)製の最新鋭の大型ディーゼル機関を搭載し、水密区画配置などの安全性を誇り、1930年にシアトル線に就航しました。1等76室、2等69室,3等186室を備えて、11,000トン、最大速力18.2ノット(時速34Km)、風浪の激しい北太平洋を横断するために特殊なリベット構造を用いて外版を厚くし、当時の造船技術の粋が集められた貨客船でした。 内装はフランス人デザイナーのマーク・シモンによるアールデコ様式が採用された豪華客船で、1932年に初来日したチャーリー・チャップリンや、米国公演を果たした宝塚歌劇団を始め、太平洋を146回横断し1万人が乗船しました。 その後日米関係の悪化から1941年に航路廃止となってからは、在日外国人の帰国と在留法人の引き上げに携わり、戦時中は3万人を越える傷病兵を運び、戦後は南太平洋に残された病気に苦しむ兵員2万8,000人を運び多くの命を救いました。終戦までになんと3回も触雷しましたが沈没を免れています。 そして1950年に連合国軍によって制限されていた外航航路が再開され、日本郵船による復元工事で、船内の大改装がなされ3年後の7月に再び12年ぶりにシアトル航路復帰を果たしました。 以後7年間にわたりフルブライト留学生2,500人を含む乗客約1万6,000人をニューヨークや欧州に運んでいます。そして1960年8月、最期の船出となった日には東京駅から横浜港新港ふ頭に臨時列車が運行され、約4,000人が岸壁に鈴なりになって最期の船出を見送りました。 現在、氷川丸は国の重要文化財(歴史資料)に指定され、横浜市で博物館船として公開されいるのはご存知のとおりです。
今では映画を2,3本見ている間にあっという間に太平洋を飛び越えることができますが、100年前の12日間をかけた豪華客船の旅というのは、果たしてどんなだったのでしょう。 横浜にある氷川丸も必見ですが、1936年に就航したイギリスの豪華客船クイーンメリー号の当時と変わらぬ豪華な姿をロングビーチ港に見ることができます。 ゴーストが出るという呪われたB340号室、夜な夜な女の子の泣き声が聞こえるという廃墟と化したプールを巡るゴーストツアーも必見? 是非訪れてみてはいかがでしょう。
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