旅のエスプリ Vol. 21 |
2013年1月、ラスベガスのシーザーズパレスの敷地内に、新しいホテルがオープンしました。その名はノブ・ホテル・ラスベガス。世界的に有名な日本人シェフ、ノブこと松久信幸氏と長年のビジネスパートナーである俳優ロバート・デニーロが手がけた高級ホテルです。
もともとシーザーズパレスが所有していた建物を、目が行き届く181室のブティックホテルに改装したもの。サービスはすべてパーソナライズされており、部屋に通された後、ウェルカムドリンクの緑茶が出され、その傍らでiPadによるチェックインが行われます。
ラスベガスの巨大ホテルではチェックインに時間がかかることも珍しくないので、「おもてなし」面でノブ・ホテルは一線を画していると言えるでしょう。室内は墨絵をイメージしたイラストが描かれた壁に、折り紙の柄のフロア、東洋のスパが再現された浴室と徹底的に「和」のテイストです。
目玉は何と言っても、ホテル内のノブ・レストランです。全世界に26店を展開しているグループレストランの中でも、ノブ・ホテル内のレストランが最大の敷地面積と贅を凝らした造りを誇っています。宿泊客はもちろん、ノブの料理をルームサービスで味わうことができます。
「シェフのノブ自身がブランドだ。至る所にノブの料理の熱心なファンがいる。このホテルは磁石のように彼のファンを引き寄せるだろう」とオープン当初、レストラン批評家からお墨付きを得たように、このホテルはノブ・ファンのみならず、世界中のグルメを惹き付けています。
さて、レストランのオーナーシェフだけでなく、一流ホテルのオーナーにもなった松久氏の経歴は誰もが知るところです。1949年、埼玉に生まれ、高校卒業後に新宿の松栄鮨で修行を始めます。7年勤務した頃、店の顧客の日系ペルー人に誘われ、リマの寿司店を任されることになり、南米へ。ここでトマトやジャガイモがペルー産であることを知り、セビーチェやシラントロのソースなどペルー固有のレシピに衝撃を受けた彼は、日本食とペルー料理の融合を試みます。
その後、アラスカに渡り、自分の店をオープンするも直後に全焼の被害に見舞われ、カリフォルニアへ。ここで数店の日本食レストランで働いた後、ついに1987年、ビバリーヒルズのラシエネガ通り沿いに松久をオープンさせました。
常連客のロバート・デニーロがニューヨークのトライベッカで一緒にレストランをやろうと誘ってきても、松久氏はなかなかイエスとは言わなかったそうです。しかし、数年後、ビバリーヒルズのスタッフが成長したのを実感、デニーロの誘いを受け1993年にトライベッカにノブを開店すると、その後、店は世界中に広がっていきました。
それから20年、彼は今でも世界を飛び回りながらも、松久の本店で寿司を握っています。
「常にビバリーヒルズが原点だ。僕のまわりに人が集まってくれたおかげで今がある。スタッフの成長が何より大事。スタッフが成長するということは自分も成長するということだ。形だけでなく、彼らには心を伝えるようにしている。人間はどれだけ打ち込める仕事を持っているかで人生が変わってくる。10年後も今のこの気持ちのままでいたいと願っている」
と松久氏はあるインタビューで語っています。
彼が育てた人材の中で、最も有名なのはアイアンシェフこと、森本正治シェフでしょう。1955年に広島に生まれた森本氏は懐石料理を修行した後に地元で店を経営、しかし、広い世界を見ようとアメリカに渡ります。そしてニューヨークのノブでヘッドシェフを務めていた頃に、人気番組「アイアンシェフ」に抜擢されるのです。
その後の活躍にはめざましいものがあり、ノブを卒業後はフィラデルフィアでモリモトを開店、さらにニューヨーク、フロリダ、ホノルル、ナパにも出店した後、ワサビという名のレストランをインドで2店経営、さらにロサンゼルス国際空港内の串焼きをアレンジした料理を出す店でも人気を博しています。
そして、シェフではなく経営者として、ノブ卒業後に大きく羽ばたいたのが、マイク・カーディナス氏です。米国海軍の軍人と大阪出身の日本人女性との間に横須賀で生まれ育ったカーディナス氏は、父の国アメリカを見ようとハイスクール卒業後に渡米します。
そこで紅花の鉄板シェフはじめ職を転々として旅行資金を貯め、各国の料理を現地で食べてみたいと世界一周の旅に出るのです。アメリカに戻った頃、お金が底をついていたため、松久氏に「1カ月でいいから働かせてください」と頼み込み、ビバリーヒルズの松久で職を得ます。
「短期のつもりだったのに気づいたら5年が経っていた。働き始めた頃、店はビバリーヒルズだけだったのに、ニューヨーク、ロンドン、東京と次々に増えていった。僕はレストラン展開について、ノブさんの側で勉強させてもらうことができた」
と振り返るカーディナス氏は、総支配人の肩書きを最後に1997年に松久を卒業、松久からほど近いショッピングモール、ビバリーセンター内に寿司店スシロクを開店。その後、カタナ、ステーキハウスBOA、レイジーオックスキャンテーン、虎の子と次々に新たなレストランを手がけては成功しています。
前述のように「いつまでも今の気持ちのままで働いていたい」と語る松久氏、今後も彼は新たな挑戦を続けていくでしょう。さて、次回のラスベガスではノブ・ホテルに予約を入れてみますか?
【参照サイト】
NOBU Hotels
www.nobuhotels.com
[geo_mashup_map]
【関連記事:旅のエスプリ】
・[Vol.20]イランに取り残された絶対絶命の日本人216名を救出したのは、トルコの100年前の恩返しだった!?
・[Vol.19]駐日大使だけじゃない、ケネディ家と日本の縁 昨日の敵は今日の友
・[Vol.18]リンカーン大統領に会った唯一の日本人 アメリカ人として幕末の日本に帰国
・[Vol.17]911の標的、WTCは日系人がつくった? 人種差別と闘いながら夢叶える
・[Vol.16]観光だけじゃない、ハワイと日本の深い縁 ハワイ王室と日本皇室の政略結婚?
・[Vol.15]アメリカ人に愛された日本人金メダリスト“バロン” 硫黄島で投降を呼びかけられるも戦死
・[Vol.14]カリフォルニアのワイン王は薩摩の侍? 13歳で海を渡り、偽名のまま生涯を過ごす
・[Vol.13]本物のロンドンブリッジはどこにある? 世界最大の骨董品、コロラド川へ
・[Vol.12]運慶とミケランジェロ、その意外な共通点 「大理石の中の天使を自由にする」
・[Vol.11]希代の策士・マッカーサーとミズーリ号艦上の降伏文書調印式 大胆不敵なイメージと反対のマイクロマネージメント
・[Vol.10]1922年、NYセントパトリック教会に響いた君が代は誰のため? 日本人化学者と南部令嬢との国際結婚
・[Vol.9]CIA, KGBも興味を示した古代インカの情報システムとは? そしてプレ・インカのチャンカイ遺跡に魅せられた日本人実業家とは?
・[Vol.8]レオナルド・ダ・ビンチはナポリタンを食べたのか? イタリア料理に欠かせないトマトのルーツはペルーだった!
・[Vol.7]ブルックリン・ブリッジ建設の陰に日本のプリンス?名門ラトガースに学んだ幕末の獅子たち
・[Vol.6]ペリー提督の末裔が経営するワイナリーとは? カリフォルニアワイン台頭のきっかけ「パリスの審判」
・[Vol.5]150年前、米女性を熱狂させた日本人男性アイドル?「侍を一目見よう」ニューヨークで大歓迎
・[Vol.4]日本人留学生第一号はやはり、あの人!そしてその人はフリーメイソンだったのか? 猟師から武士へ、そして英語教師へ
・[Vol.3]アメリカとイギリスに上陸した日本人第一号とは?万次郎の先を行っていた国際人
・[Vol.2]サムライたちがメキシコで集団洗礼を受けた?? ~ヨーロッパへの中継点でキリスト教徒に~
・[Vol.1]日本とスペインの縁をつないだのが独眼流!「日西交流の歴史、今年で400周年」セビリアには「日本さん」が800人!